劇団ルアーノデルモーズ「ラッキーフィッシュパーティナイト」

「生きる衣紋掛け」と
「良い俳優・女優」の間で生きていく覚悟。


 山口小夜子、というこの国のファッション草創期を
支え、生き抜いてきたモデルは自らのことをこう言った。

 「私は、生きる衣紋掛け」と。
それを初めて聞いた時、
「なるほど、この職業における立ち位置や役割はそれなのか」と
理解し、彼女はこの立ち位置と役割を全うしたからこそ、
この国における「モデル」という職業をひとつ上の段に押し上げた。

 「実際」に、洋服を「着て、動く」ことで、洋服自体が持つ
「質感」や布地の「重い、軽い」、更には纏っている「空気」の
「重い、軽い」などといった様々な「情報」を周囲に「伝える」
ことができるようになると、自然と「演劇的」な要素までも
身につく、というか必要になるのだろう。
これを見つけたから「ひとつ上」の段に職業を押し上げたのかもしれない。

 この流れで演劇を始めたデルモーズ、
前作「ミツバチと時間のワルツ」まではどこかに
ファッションショーのランウェイを「意識」しながら
「演劇」をやっていた。

 ランウェイを「意識」しながらの「演劇」をひとくぎりさせて
夏のハウスショーでガチの「演劇」というアプローチングを
始めたうえでの今作、どう変化して、化けたか?

 村上春樹「羊をめぐる冒険」の世界、というかお話の「肝」は
「幸運」とはなんぞや、「ツキ」というものは「移動」するのか、
「移動」するとしたら「どう言う形」で「移動」するのか?

 この「問い」に対して、結局のところ、「幸運」とは実に「ふんわり」と
つかみどころのないものであって、つかみどころがないものだから
「幸運」を「表す」印、というか、「何か」が存在している。
この「印」、というか、「何か」を「表」に「見せない」ことによって
その人にとっての「幸運」は「守られて」いた。

 「幸運」の「印」、というか、「何か」をうっかり見つけた、というか
たまたま見つかったことによって「幸運」と「ツキ」というものの
「移動」という「物語」に巻き込まれていく、そのなかで
たくさんの「人間」が生きている様子をきちんと見せる。
・・・これがお話の基本的な流れ。

 この流れはそのままに「幸運」を表す「印」を「羊」から
「魚」、それも「金色か赤色の小魚」に変化させて、
空間は「山」から「海」、そしてガラパ風味で迷路感いっぱいの
船の中に変化させて見せていく、という趣向。

 この趣向で「コメディ」ではなく「ガチの演劇」として
「お話の流れ」を見せなきゃいけない、それを荒削りながら
「やり切った」ことでものすごく「化けた」な、という見後感。

 モデルの「身体性」はそのままに、ガラパの
「基本的な身体性」たる「ラグビー」、それも大昔の
早稲田大学のような「密集・展開、あとなんだ」が
荒削りながらも徹底されている。
「ツキ」が移動する手前の展開、「紅茶の入った水筒」の攻防戦、
本業の人が見ると「危ない」と思うかもしれないが、
それなりに、「モール」ができているのだから。

 あとは「モール」から「水筒」という「ボール」をどう出すか、
ラインをきちんと作ること、それより以前に
「安全なラグビーの基本動作」をガラパともにマスターすること、
あと、所々見られたセリフの詰まりを無くせば
名古屋の「あおきりみかん」という「演劇」を射程圏内に
捉えられることができる。

 そしてその先に見えるものは・・・。
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