演劇ユニット1/4「二時間に及ぶ交渉の末」

これもまた、「コンテンポラリー演劇」のいち形態。

 さて、「コンテンポラリー演劇」と「ジャンル」を
ひとつこしらえたはいいけれど、一体、どういう「定義」を
持ったものを「コンテンポラリー演劇」というのか、
そして、この「反対側」に存在する「ガチの演劇」は
どういう「定義」なのでしょう、という「問い」が生まれるわけで。

 「生の声」と「生の身体」を使うところまでは、
そして、「生の音」、さらに「生の空間」を使うのも
両方共おんなじだ。

 だとしたら、どこが、どう違うんだい?
・・・そうなると、「ガチの演劇」は
「非常に制限されたルーリング(規則設定)」の元で
「生の空間」を作り、「生の声」、「生の身体」を使っていく。
日本で言えば、「落語」という「一人芝居」であり、「歌舞伎」の
「型」というものも「非常に制限されたルーリング」になるし、
西洋では「ストレートプレイ」、「ミュージカル」、「オペラ」、
「オペレッタ」、「ボードヴィル」などと
「非常に制限されたルーリング」がより細かく設定されている。

 それに反して「コンテンポラリー演劇」は
この「ルーリング(規則設定)」が良い意味に取ったら、
「ある意味制限の少ない」ルーリング、悪い意味に取れば
ルーリングがいい加減、あるいは曖昧な条件下で
「生の空間」を作り、「生の声」、「生の身体」を使う、そういうことかも。

 こういった観点で開演前の表演空間を見るとこれらの件について
よく考えていることがはっきりとわかる。
普通なら最前列までお客さんを入れるのだが、今回は最前列
一列をきちんと「殺して」(お客さんを入れないようにして)いるから
演者の足元まで程よい目線で見ることができる。

 壁部の天にある「切り欠け」だって見ようによっては
都会の高層ビル群の遠景にも見えるし、何かの暗号、
記憶のパンチ穴、そういうものにもうっかり見えてしまう。

 そういうところを楽しみながら本編を待つ趣向。
・・・本編が始まれば同年代の演者が6人、オーバーエイジ枠で
ひとり、これらの面子でまずは「戦隊物」をやり、「刑事もの」をやり、
「自殺もの」、「恋愛物」、「買い物もの」、「別れもの」、「終末もの」
そしてガチの「演劇もの」を一通りサラッと「さわり」だけ通す。

 「さわり」だけ今日やる「ネタ」を一通り通したあと、
「今日のルーリング」が「交渉」を題材にしたもの、と発表され、
「交渉の鉄則」が説明される。
「冷静であること、論旨がシンプルであること、粘り強く」。

 このルーリングに沿って「演劇の基礎」を押さえながらも
「関西演劇」や「九州演劇」の知っている人にとっては
知っている「内輪ネタ」を「P音」入れながらやり、
ガラパや非売れ、エゴナクなどの「演劇スタイル」を
「本歌取り」してみたり、若手が「演劇使って遊んでる」、
その場にオーバーエイジ枠で存在する非売れの田坂さんが
要所要所をきちんと〆ている。

 そうなると、「嘘」と「現実」、「過去」と「現在」、
「めっちゃ嘘」と「めっちゃ現実」を表現した「短編作品」が
最初はバラバラだったのが、少しずつ接点を重なり合わせ、
徐々にお互いが絡みに絡んで、最終的に「愛」という「結論」に
まとまりを見せていく。

 男女が虚実入り混じりながら精神的にも肉体的にも絡み続ける、
別れたり、くっついたり、そう考えると演劇って怖いが、面白い。

 ・・・「二時間に及ぶ」というから公演時間もそれくらいかな、と思っていたら
時間的にも、感覚的にも2時間行かなくて、アフターイベントの
「ネタばらし会」まで含めて「二時間」だったのかなぁ、という見後感。
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