福援隊ヤング 「星降る夜になったら」

「死ぬ」も「生きる(活きる)」も勢いだ。とは言うけれど。

ガラパがイムズでやったこの演目の元版を見る前、
わたしは精神的にも、身体的にも最悪、最低な状態だった。

人間関係は崩壊寸前、日程的にも日曜日に
やらなくてはいけないいろんなことが集中して、
何も出来ない、というのがこんなにつらいとは思わなかった。

ついでにお金のこともままならないので、
故に演劇とハンバーグ工場の仕事がそれぞれうまく回らなくなる。
本当に、次をどうするか、どうしたいかわからなくなってきた。

こんなことに直面すればするほど、考え方や人間としての
なんだかんだが違う人とうまく揃えることができにくくなり、
物事を続けていくことが難しくなっている。

この難しさがわたしを活かす、という点で
妨げになっているのだろう。
まだ、私はこのことをうまく解決できてはいない。

ああ、このままだと自殺するしか道はないのかなぁ。
そんなことをうじうじ考えていた。

・・・そして、久しぶりにこの演目を見る直前まで
わたしの状況はより最悪だったわけで。

というか、この時期、人間関係やら、ままならない人生に
ぶつかることがままあって、正直、全部の因縁精算したい、と
思い、それを行動に移すと必ずもって、身体ずくで止めるやつが
「最低」一人はいる、自分が演劇やめようとした時もはしりさが
身体ずくでガッツリ止めて、今がある。

そして、今回、というか今年も身体ずくで止める奴が・・いた!

で、「星降る夜になったら」以降、思うところあって
はしりさが演劇やめたい、といった時、自分も同じように
ガッツリ止めた、そしてはしりさひとりが抱えていた「重荷」を
ガラパ全体で抱えて、解決しようとする一つの解として
「劇団員全員が制作のスキルを身につける」と
観客コア層を「ガラパサダー」として「伝播する広報」の役割を与えて
「作品創り」に巻き込ませる、という手法を取り始めた。

箱のなかに入り、こういうふうに「起こったこと」をつらつらとまとめている。

確か、この演目をやる前にガラパは「ガラ博」という形で
「多種多様な才能」を育てる「苗床」を作り、
ガラ博が終わったあと、その中にやまさきみずほが座組に入り、
「裏切り者」でくどーあやかが「客演」で入り、
この演目はショーマンシップからひがしさやかが、鹿殺しからも
ひとり「客演」で入り、たさきこぱるもこっそり入っていた。

こうして見ると、ガラパも次なる「変化」に対してあがいていたんだな、
もがいていたんだな、そんなことを思うと前説なく本編へ。

「貸し別荘」、というわたしの人生で「ほとんど」
行ったことがない
ので戸惑うくらいの
 ものごっつうおしゃれで高級、
ついでに仕掛け満載で
ボリュームたっぷりの空間 。
今回はイムズホールではなく、ぽんプラザホール、「余分なところ」は
きちんと削りながらも空間のボリュームは変わらず。

今回の座組は「ガチの演劇」をしている人ではなく、
ナベプロ九州オフィス(昔ながらの人間にはこっちの呼び名が
しっくり来るのです。)所属のTVタレントさんやら
お笑い芸人さんが「新しいわざとすべ」を身につけるために
公演を打つ、という趣向。

そういう「趣向」の座組で、ラグビーのもつ「フィジカルコンタクトを
軸にした状況の打開」を取り入れて「場面」ではなく
「局面」を多面、多層的につなげ、重ねていく演劇である「ガラパ」の戯曲を
サッカーでの「守備では相手に触ることなく(=フィジカルコンタクトを
”拒否”する)立体から平面、そして線を”消して”ボールを奪い、
攻撃では相手にボールとボール保持者を触らせないように線から平面、
そして立体を構築する」ために必要なスピード感と身体性で演劇をした。

こうなると元版の時に感じた「重苦しさ」はどこかに行って、
進めば進むほど、すんなりと物語が身体に入ってくる。

板の上にいる人間のキャラクターもどこか「重み」を残した
「軽さ」を持った身体性であるがゆえに元版より鋭く研がれている。

そういう「演劇」で生きて、別れて、出会って、くっついて、
裏切って、裏切られ、傷ついて、死んで、
板の上になかったのは妊娠して、生まれる、というところだけ。
こういう、ボリュームたっぷりに人生、というものを
見せてもらったら、いやうっかり見たら、いろんなことを考えてしまう。

そろそろ新しい段階に入っていくのかな。
というか、もう新しい段階に入っているんだよ!!

それが何より証拠にはいろいろな所で変わり目、というものを
体感、というか、実感しているではないか、良きにせよ、悪しきにせよ。

そうやって、わたしも変化している、あなたも変化している。
変化していないのは誰だ?

スーパーラグビーのサンウルヴス見てみろや、
人によっては「悲惨な状況」に見えてそれを叩く人もいる、
お前もそんな状況に近い「人生の局面」を通っていると思うよ。

それでもあがきながら、もがきながら生きているじゃないか、
戦い続けているじゃないか、それって結構かっこ悪いことじゃないと思うよ。

もしその戦い、というかもがき、あがきの最中に死んでしまったら
「次の局面」は「予定」のまま終わってしまう、
それはそれで少ししんどいし、どこかカッコ悪いと思うぜ?

今回の局面は宴の「真の主役」が「ある覚悟」を抱えていたせいか、
妙に大人びていたからカッコ良かった、けれどなおさらしんどいわ。

人間同士が出会えば、いつかは離れるし、別れる。
お互いがお互いの領域に踏み込めば踏み込むほど、その分
「離れる・別れる」という「おわり」を忘れてしまいやすくなる。

忘れる、ということが平気になる、ということが
わたしはなにかとても悔しくなるときがあるんだ。
逃げれば繰り返すし、立ち向かうとごまかしやすくなる。
知らないふりをしていても、なんとなく全てを知っている。

そんなことを時折「哲学的」なセリフを織り込んで見せると
元版を見た時の「心の琴線」に触れたところとは違う
「心の琴線」に触れてしまい、なんとも言えなくなる。
・・・おまけに時間を感じない。
元版のいいところは「前に進む」熱を帯びた物語、
ラストのバルコニーの扉を開けるとすっと冷気を感じた、
これが明け方の空気、あるいは「始まりの空気」を
感じることができるところ。

今回は程よく熱をかき混ぜてるせいか、明け方の空気を
あるいは「始まりの空気」というものを感じることが出来なかった。

 もう少し練度を上げたら、「サッカー」と「ラグビー」の間の子である
「ゲーリックフットボール」という演劇になる。
そうなったら「熱」を「熱」として素直に伝えられるのかもしれない。

・・・こう書いたら、ガラパはこの演目の再演をぽんプラザホールで
演って欲しい、ただかおりのポジションには北九州から
みやむらじじを客演において、福援隊ヤングにはこのお話に
つながっている「馬鹿野郎、そこは掘るな」を演って欲しい。

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