刈馬演劇設計社 「猫がいない」

「社会」は常に「生け贄」を求める。

  「七ツ寺合同スタジオ」という名前とこの場所ができた経緯は
自分が演劇に触れて一番最初にいろんなことを教えてもらった
河合塾の某講師(アサデス。に出ている世界史の青木さんではない)から
聞いたことがある。
(青木さんには入試直前の講習で
「お前はレヴィ・ストロースも知らないのか」と言われた。
そのことばが私の学びをずっと支えているのかもしれない。)

こう考えるとわたしの「発達」が未熟なせいで
自らを伸ばす進路に19歳で進めず、余計な遠回りをしてきたが
回り回ってこの歳になって自らを伸ばす進路に進めたのかな。
・・・河合塾に行ったあの一年間はものすごく貴重だった。

「希望」を持つにはいささか早すぎた、けれども、「絶望」するには
かなり「遅すぎた」のだろう、わたしの場合は。

都市のベストなバランス、というものを「エンターテイメント」の
観点から考えてみると「家内制手工業」と「工場制手工業」が
程よいバランスで拮抗し合い、ここに「工場制重工業」か乗っかって、
補助的に商業・サービス業が支える、当然「強い農業」が
良いバランスを下支えする必要はあるが。

そんなことを考えながらハコのなかに入り、
お客さんの空気を感じながら、自分を温めているといつの間にか
本編が始まっていた。

ある「殺人事件」の「元」加害者と被害者が冤罪が明けて、初めて
「出会う」というところから物語は始まる。

というか、この家、さらにはこの村には「謎」が多すぎる。
実に、あまりにも多すぎる、何故に、この「家庭」は母と殺された
上の娘、そして生き残った下の娘「だけ」だったのか、
夫は死んだのか、自ら出て行く道を選んだのか、どうして
若い男を母は「引っ掛けた」のか。

この村はかつて「別荘地」だった、というが、
現在は「外に開かれる」ことを「拒否」して
内へ、内へと「閉じこもって」いる。

これらの「何故」が始終ブリキのバケツにかつーん、と水漏れなのか、
水滴がかかる音として不気味に鳴っている。
物語を追いながらこの音を聞いていると、あることを思い出したのだ。

・・・人のこめかみにたった「一粒」の水滴を当て「続ける」、
もしくは脳みそに「細かな振動」を与え続けると最終的には
「狂って」しまう、という「軍隊」がよく使う「拷問手段」のことを。

ああ、これは社会、という「集団」が「何かを」守るのに
「村八分」という「排除」を利用してしまう、という
人間の「原罪」なのだろう。

この事案は、明らかに殺人事件、だとすると、
「地下室」で上の娘の死体が見つかった。
警察は家族に上の娘の死亡を伝えて、次のように言う。
「あなたの家族が死にました。」

さらに続ける、「事件の捜査を続ければ、あなたたち家族のことが
新聞・テレビ・週刊誌に出ますよ。
旦那さんの仕事や、娘さんの縁談にもさしさわりがあるのではないですか。
さらに、あなたたちは<招かれざる存在>じゃないですか(以下略。」

もし、この「事件」は自殺をしたという調書を出す、という形で
穏便に処理していたら、ここまでおかしくはならない、その「可能性」を
誰が、どのようにして「拒否した」のか、部外者の部外者たる
私たちにはわからないけれど。

このようにして「ムラ」社会では、どのような職業でも家族が事件に
巻き込まれることは大きなハンディとなる。犯罪に関係なかったとしても、
言い訳にはならない。
・・・故に、巻き込まれないように、巻き込まれないように「わたしを殺して」
生き続けるように「同調圧力」によって強制させられる。

こうなると、ムラの支配者にとって自らの「権力」を維持していくために
有利な状況になる。

この有利な状況を維持していくために
今日、誰かが誰かに有形無形のノルマを突きつけている、
そのひとつとして「同調圧力」が存在する、ということかもしれないが。

有形無形のノルマは、事件発生の時点で事実をゆがめる。

だから、冤罪はなくならない、むしろ「社会的排除」の手段として
「意図的」に使用している、という現実がある。

もう一つは、(自白等の)「強制」と「奨励」。
歴史的に言うと、ムラ社会には自殺(自滅)の長い歴史がある。
それは文化でもあり、組織的な行為でもある。

更に言えば、いつも「生け贄」にさせられるのは「真っ直ぐな弱者」である。
そういう人はどこかしら「目立って」しまい、というか目立たされて、
折にふれて「挑発」される、ちょうどバケツに落ちる水滴のように。

で、ある限界点を通過した時点でわざと暴力的に「事態を解決」
させるように仕向け、ありとあらゆることを押し付け、有無を言わせず
「排除」させる。

それで皆が納得して、というかさせられているところに
新しい外からの存在が「事実」を更に「修正」しようと乗り込んだ。
・・・これが「猫」の正体だったのか。

という現実を 「戯曲」の緻密さと「演出」の緻密さが
「掛け算」で合わさった「演劇」というもので見せられると
世の中が「弱者」に対して見せる 「拷問」を「追体験」してしまう。

本当に、人間って弱い、実に弱すぎる。

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