prayer/s 長崎公演

             言葉とからだが響きあう「文学」。

 去年の試演では「生活」を見せてきたが、
今回は「人生」という「文学作品」という形に仕上げてきた。
ベースとなる音が福岡、東京、札幌と各会場で違うらしいので、
「異なる響き」がどんな科学変化をもたらすのだろうか?


 試演の時は宝町ポケットシアター特有の
「大黒柱」を「生命の樹」に見立て、
そこから出たエネルギーを演者が受けて
それぞれのからだを使い「生活」と「命」を
極限まで表現しきった、そんな感じだった。

 今回の本公演は「不安定」というものを
それとなく表現し、薄皮一枚先にある
何かわからないものも存在している。
また、別のところでは街宣車の声や、
路面電車の走る音、その他なんだかんだと
生活の音が聞こえてくる。

 切なく寂しい「氣の流れ」というものが満ちて、
外界との接点が絶たれ、前説の諸注意からの流れで
「流れ」という詩を読み、いつの間にか物語の世界に入り込んだ。
時間は戦後の横浜山手の焼け野原。
男がひとり何かを訪ねてあるところにやってきて、
その場所に佇んでいる。
ここに不思議な空気をまとって女が現れ、
お互いがお互いを「慈しむ」行為をはじめる。

 ここから、この物語の根っこを流れる
「全てを失ったさまよえる魂」が奏でる重低音に
津軽三味線の強く、太い音が絡みあう。
この様はまるで近松門左衛門の書く男と女の悲しみにも似ている。
そこに乗ってくる体の動きは文楽の人形と人形遣いを意識しているかのような。

 この根っこの重低音に岸田國士、夢野久作、谷崎潤一郎、
芥川龍之介、吉行淳之介、阿川弘之、遠藤周作という
なんて言うか陰翳のあまりにもはっきりした情念の文学の要素が
十分に加えられ、混ぜられて、私の奥底からある記憶が蘇る。

 確か小学校一年の頃、学校というものに戸惑って
「死にたい」ということばかり考えていた。
担任の女先生はそれに戸惑いながらも強い態度で
これを強く出した前の日の夜遅く起きた火事によって
亡くなってしまった女の子の話を持ち出し、
「生きたくても生きられない命が」という話をしていた。
その後、自分の足で現場に行った時の焼け落ちたピアノが
物語とともに迫ってくる。

 この記憶を物語とともにじっくり追っていたら
いつの間にか「孤独」と「絶望」が重たく入ってくる。
これを全身で受け止め、狂わんばかりに呻き、悶え、
孤独と絶望を吐き出しきって、また新しい生を生きる。

 ・・・そうして人は生き続けているのかもしれない。
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