鹿児島演劇見本市(その六)

 最近、まとまらないことばかりで、どころじゃなくなってきた。


劇団「ぴんと。」

 言葉のリズム、というものを徐々にからだへと落とし込み、
この「落とし込んだもの」を「イメージ」として表に出していく。
その「入れ物」が大きい、中くらい、小さい「バス」だったのだな。
乗ってみたいが、乗れるかどうかわからない、そんな逡巡が
あって、中の人が乗ってみる、乗ってみたいでしょ、と
自然な形で手を差し伸べ、いつの間にか引っ張りこまれている。

 気がついたら、過去のしくじり、というか、トラウマと向き合っている。
向き合っては見るが、結果である「記憶」というものが生まれた端から消えて行く。
消えていけば行くほどまた過去のトラウマが濃くなって、さらに向き合うことに。

 いったいぜんたい、私はどうしたいんだろうか?
何を私は、やり直したいのだろうか?
やってみなけりゃ、分からない、というが、私は、そこがわからない。
今、そこにある全ては消せるものなのか、消せないものなのかすらも。

 さらには、「本質」というものを掴んでいるのか、つかんでいないのか。
あらゆる全てがわからないまま、人生のぐるぐる廻りは果てしなく続く。

 なんて言うか、熊本の劇団きららが持つ「身体言語」の使い方を
哲学的強めで鹿児島に持ってきたらこうなるのか、という出来だった。


演劇集団 「宇宙水槽(コスモリウム)」

 福岡の万能グローブガラパゴスダイナモスという
劇団の空気になんとなく似ている、その空気に「現代口語演劇」が
混ざっている、というのは言いすぎだろうか?

 こういう空気感でまずは作家と担当編集者との話、
いつか見た夢をとつとつと話し、ここから「小説」と「現実」と
いうものが「同時並行」でグイグイと進んでいく。
これらの出来事と出来事そのものに関係する情報量が
ものすごく多くて、この多さが見手の脳みそを揺さぶって、
揺さぶられたことによって起きる「熱」の量が半端ない。

 その「熱」にうんうん言っていると、いつの間にか
「絶望」というやつに巻き込まれてこんこんと眠っている
「何か」を目の当たりにしていた。

 人生ってやつはもしかしたら「悪夢」というものなのだろう。
そういったことを知らないことが、実は幸せだっのかもしれない。
それでも、このグルグル周りの中で生きていくことを選んだのだから。


 このふたつは最近の演劇トレンドを取り入れようとする
試みを積極的に進めている、そういう見後感。
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