福岡県大学合同公演「喜劇ドラキュラ」

なんか、残念だ。

九州戯曲賞・大賞を「現時点」での最年少で取った戯曲が
福岡の演劇をやっている大学生有志の「現時点」での力のすべてを
集結して、実演化にこぎつけた。

がだ、遠征の疲れやらなにやらで頭がうまく回らない。
さらに入場の時、受付の手際が悪いのに加え、
考えの足りないお猿さん達がダラダラと並んでいて、
その後ろでじっと待っていたら関係者かなんか知らんが、
どこぞの年寄りが自分よか遅く入り、自分よか早くハコの中に入ってる。

けれども、あまりにも自分が眠すぎて、疲れすぎて、
私の心の力業が「怒り」の方向へとうまく向いていかないのだ。
殴ったり、蹴ったりできたらどんなにいいことか。

まあいい、それにしても、全体の雰囲気は何もかもがむき出しで
表演空間のつくりは機能性、というやつは十分にありながら
ある意味「病院のロビー、というか待合室」をほうふつとさせる
無機質な空気、そこにクラシックの音楽がうすーく、うすーく掛かっている。

戯曲そのものの作りは「ドラキュラ公」というヨーロッパで言えば
小さい国を任された王侯貴族の「へうげぶり」、というものが
オスマントルコという「大国」に五分以上で渡り合う。

「弱者」が「強者」を「苦しめる」ためには緻密な戦略、というものが
必要なのだろうが、その緻密さと元からある「へうげ」が四つに組めば
化学反応を起こして「気が触れてしまう」、というか
「クレイジー」になってしまう。

ここに「人間不信」という気質や、有象無象の「トラウマ」というやつが
絡まりに絡まって「怪物」ドラキュラは誕生した、と言うか、されたのだ。

こういう「古典」ではなく、「故事」の誤意訳化ですごく興味深く、面白い。
むしろ、日本の戦国時代、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人を
足して、ぐちゃぐちゃに混ぜて、キリスト教とイスラム教で味付けした、
という「共通点」まで見つけることができる「隠し味」まで盛り込んでいる。
 
がだ、それを表現する演者の身体がきちんとできていない。
合同公演という試みを始めてから福岡大学演劇界の身体言語は
少しづつ良くはなってきているのもまた事実。

けれども、「古典の誤意訳」でお馴染み、中野成樹とフランケンズの
仕事を間近で見て、さらに言えば「受け入れ側のマネジメント業務」と
いう丁稚奉公をやってきたことを踏まえて話を進めると、
「からだがこの戯曲を受け入れていない」、
「言葉をきちんと咀嚼しようとするけれど、消化しようとするけれど、
気がつけば嘔吐してしまっている」そういう実演だった。

特に、せりふ、「言葉」がしっかり伝わっていない。
・・・浅利慶太の劇団四季見たく「母音式発声法」を稽古の時から
開演ギリギリまでやり続けることは正しかったんだ、と今になって思う。

というか、「ギリギリのところにまで心身を追い詰める」創作の現場を
知らず、自分たちの流儀で難しい戯曲を扱うと、大怪我するんだな。
「ギリギリの現場」に飛び込んでいけたらもっと良くなるねん。

くどさと脂っこさしか残らないものを見て、食あたりしちまったい。
この戯曲をもう少し身体ができているところがやれたらどうなるんだろう? 
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