劇団きらら「はたらいたさるのはなし」

「マイノリティの悲哀」と言うには明るすぎて。

  「パーソナル・スペース」と言うものに対して、私たちは鈍すぎる。
・・・のかもしれない。
とくに、「空席を埋める、ということ」において。
段差はあるけれど、やっぱり前の人の頭は気になるし、
その気になっているところをうまく避けるポジショニングにも気を使うし、
最前列がいいかな、と思っても、後ろの人のパーソナル・スペースを
「侵害しない」ようにどうしたら良いか、迷ってしまう。

 そうして「短い時間」で作り上げた「パーソナル・スペース」を
「異なる」人はあっさりと壊してしまうのだ。
「ここ空いていますか」、なんて言われたら、
そりゃ、口ではどうぞ、というが、肚の中では
こいつ、俺に「宣戦布告」してやがる、もしこいつが
「演劇関係者」だったら、こういう人と仕事したくない。
というか、こういう人の作る「作品」という人生はつまんねぇだろうな。
更に言えば、そう言う人達とおんなじ空気吸いたくない。
吸ったら、わたしもおんなじようにつまらないものを作り、
つまらない人生を生きてしまいそうになる。

 ・・・それを人は「普通」というのかもしれないが、
わたしはまだわだかまりが残ってしまう。

 毒吐きはここまでにして、本編に入ろう、本編。

 「うどんの自販機」に関しては、高速道路のサービスエリアや
パーキングエリアにごくごく当たり前にあった頃から
存在は知っていたが、親、とくに父がそう言う食べ物を
食べさせてくれなかった。

 そして、大きくなって、どこにでも行けるようになったら
当の自販機コーナー自体が「絶滅危惧種」、と言うものになってしまった。
というか、この「バブル景気」を通り過ぎた30年で「せかい」や
「にんげん」が大きく変化してしまったんだよなぁ。

 今はYou Tubeという便利なものがあって、
うどんの自販機が稼働している様ばかりを撮りつづけた動画も
たくさんあって、どういう風に「仕込んで」、どういう風に「商品化」されるか、
・・・細かいディテールはここでは問わないことにしよう。

 本題、なぜ、うどんの自販機が減ったか?
機械を作るメーカーの問題、というか、「機械の手入れに手を掛ける」より、
「低賃金・長時間労働」で人を「使い潰した」ほうが安上がりだ、と
資本家(経営者)が気づいてしまったこと。

 「使い潰されてしまった」人が増えると、社会はどうなる?
「消耗された」わたしが「消耗された」他人と触れ合うと、
ものすごく摩擦して、緊張して、退っ引きならない事態になってしまう。

 だから冒頭部のせりふ、「24時間チェーンの店もあるのに、
自販機のうどんを食べに行ってしまう」という言葉につながってくるのだ。
温かいものを腹に入れて、落ち着きたいときまで、ささくれ立ちたくないよ。

 このやんわりとした、穏やかな空間で、マイノリティ、というか
「発達障害」や「ADHD(多動)」、「自閉症」、「軽度の知的障害」、
そういうものをたまたま抱えた人たちが抱える生きにくさを明るく、
とにかく明るく板の上で、表現している。

 わたしも、縁あって、というかワケアリでそういう場所で
初めて大掛かりな「人生の棚卸し」を始めた。
その環境が程度の差はあれど、みきてぃが
この戯曲で描いていることとおんなじことなのだ。

 「やらないかんことは今(今日)やる」とか
板の上で繰り出される言葉やもろもろの動きとおなじものを毎朝 見たら、
こういう「自立支援」のやり方として、「当事者同士による相互扶助」も
あるのだな、というか、うまく「自己開示」ができれば(以下略。

 「普通」というか「定形」って一体なんだろうね?
その言葉を盾にして「普通」とか「定形」の発達ができた人たちは
他人というか、「異なる」人に「服従」を求めているんじゃなかろうか?
そういうことをわかって、表面上の明るさに沸いている客席を見て、
なんだか悲しくて、切なくなってきた。

 普通だ、普通だなんて言っていい気になって、
マイノリティが生きることに対して四苦八苦しているさまを笑ってはいるけれど、
マイノリティであるが故の生きる覚悟、や踏ん切り良くしなくてはいけない事情に
ついて、ほんの少しでもいいから想いを馳せてくれよな。

 「マジョリティ」の中にいると、「覚悟できていない」、「覚悟に踏み切れない」、
そして「覚悟することに躊躇している」わたしを見なくて済むから、なおさら。
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