万能グローブガラパゴスダイナモス「月ろけっと」@東京

再生する、再起する、という希望。

 熊本では、面白い、面白い、と笑っていたら、知らないうちに
「ああ、お前は一体何をやってきたんだい?」に加えて
「そして、お前は一体何をやらなかったんだい?」という問いかけが
そこはかとなく響いてきて、戦慄を感じたし、その問いかけに答えようとした。

 福岡では「ペネトレイト(突破)」の力強さ、しかも「軽い」ではなく
「重い」ペネトレイトを物語にぶち込んだら、「推進力」というものが
結構重く、力強くなっていて、おまけに「重さ」を感じない。
このペネトレイトで物語を見せると、人間関係を始めとした
「なぜ、そうなるのか」という「知的な迷路」にいつの間にか
はまり込んでしまい、また見たくなる、まるで麻薬のような演劇にまで
「仕上げて」きた。

 さて、この演目の熊本公演後、わたしの身の上が
「壮絶なこと」になってしまった。
というか、「星降る夜になったら」の初演時から始まる
わたしの「壮絶すぎること」が動きだしてきた、ともいう。

 演劇を「見て・演じる」という立ち位置と役割から
「見て・演じる」を自然なやり方でサポートできるように
ありとあらゆることを「学んで、即実行する」というやり方を
始めていたら、いつの間にか窮屈になりすぎて、
また、すべてを放り投げてしまった。

 先ず、「わたしの癖」に特化した「就職エージェント」を探して、
「自分のスタイルで働くための」エージェントを大阪で探し、
見学等の手はずを整えながら、四国の善通寺で
「見て・演じる」を自然なやり方でサポートする、から
「緻密なオペレーション」に転換するなんだかんだを学んで、
実行するプロジェクトに参加した。

 その間に西成の有名ドヤグループにかならずある
「福祉サービス相談所」に行って、住むところとか、
いろいろ足りないところを整えたかったが、
上手く入れそうになく、これじゃまずい、と気がついて
福岡でそういうことができる就職エージェントを探して、
たまたま近所にあるところを見つけて、連絡して、
色々段取りを組んで、この公演の東京分が終わって
演劇優先の生活を一区切りして、「第一段階」に入る
心積もりはしていた。

 その見通しの甘さが・・・結局、いい方に転がった。
年末の四国の善通寺でのアートマネジメント講座、残り、出られません、
という連絡から大阪経由で横浜、東京行って、広島回って
帰ってくる、とか、年末年始の戻し方など、「まずいところ」を出し切るように
持って行かれて、その都度「修正」して、実行する。

 この東京行きだってそうだ。
というか、スケジュール作りのプログラムで当初の日程が
色々不都合がある、ほんとうはキャンセルしたほうが後々いいのだが、
予約をセブン・イレブン行って、お金を払い、チケット化したから
逃げようがない、変更まで無理だったら、と考えていたら(以下略。

 で、スケジュールの詳細な流れを「紙に起こして」見て、動く。
・・・いや、まあ、慌てることがない、とでも言っておこうか。

 わたしのことはさておいて、熊本、福岡公演で見えてきたことは
「生きる」と言うものは人それぞれ異なる量の「持ち時間」の範囲内で
「何をやって、何をやらなかったか」ということの「途中経過」であり、
この「持ち時間」を使い切って、やったものが「結果」として残る。

 ・・・シンプルにいうと、「私たちは命を削って、良きにせよ、悪しきにせよ、
何かを成し遂げようとしている」ということやねん。

 これらを「表現」する物語の「雛形」はゲーテの「ファウスト」という「コンテンツ」。
この「コンテンツ」が繰り返し過ぎたことによる「陳腐化」が
激しくなり、「ファウスト」の「核心部」はそのまま残しながら、
現代風に「選択肢」を「多様に限定化」して、「アミューズメント性」や
「エンターテインメント性」を前面に出す、「リアリティ系コンテンツ」に
まで発展させている。

 コンテンツに必要なのは「進行役」と「狂言回し」、
そして、「コンテンツの主役」たる「ターゲット役」。
カグラザカってやつは「進行役」のふりをしているけれど、
実は「狂言回し」の役しかやっていない。

 ・・・だとしたら、「真の進行役」は誰なんだ?
もしかしたらヤヨイ、という「人間の皮をかぶった悪魔」が進行役なのか?
そう考えないと「自らは選ばないが、ターゲットには選ばせる」、という行動が
熊本、福岡公演で見た時、どうしても納得できなかった。

 しかし、就職エージェントと「癖」を探る作業をしていく中で見えたことが
人間そのものが「こうなれば、こうなってしまう」や
「こうしてしまうとこういうことになる」という「結果を見越した」行動を
「感覚的」かつ「緻密」にはできにくい。

 一度、「紙に書く」という「肉体を通して意識付けをする」作業をして、
「欲望から来る行動」を「突き放してみる」ことをしなければ
「欲望という落とし穴」の存在に気が付かない。
・・・というか、私たちは「こうなったらいいな」という「願望」で
自らが落っこちる「落とし穴」を自身の手で気が付かないうちに掘っている。

 「楽しい」とか「面白い」の裏では「良くない結果」につながっている。
こういうことをコメディで表現して「同性愛」の叶わぬ恋をスパイスに加え、
「生きて還りし物語」でお化粧を施すと、「人は遅かれ早かれみんな死ぬのだ」、
産まれて、生きて、死ぬまでに得たものは全部「偶然を装った必然」だった。
この「偶然を装った必然」をさり気なく見せる事が「真の進行役」の役目。
だとしたら、全てが納得行くねん。

 こういうふうに、「欲」にまつわる人間の営み全般というか
「弱み」をぎっちり見せてしまうと、まじですげぇとしか言えなくなる。

 そして、ラスト前、「様々な悪感情」をこれでもかと見せつけられた末の、
最後に発する「始めましょうか」というセリフに「再生する、再起する希望」が
込められていることを東京で知ってしまった。
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