バカボンド座「子どもに見せてはいけない祭り」

「貧困」は「作られる」という事実。

 大阪西成とか、東京山谷、横浜寿町のように「貧困」を「商品化」出来ないほど
北九州小倉黄金町、八幡春の町、あと筑豊の「貧困」はかなり根が深い。
「お腹が空いた、おにぎり食べたい」というメモを残して餓死した人もいる、
山谷や西成ではきちんと「旅館業」の鑑札を取ってやっている「宿舎ビジネス」にしても
小倉黄金町だったら非合法の「ボロアパートの有効利用」なものだから簡単に火事を起こして、
身元不明の死体が(以下略。

 こういう「路上の現実」をベースに今回の演目は書かれている。

 「路上の現実」から見えてくることは、人間の「多様性」がなくなって、
「画一化」が進めば進むほど、社会の「安全機構(セーフティーネット)」は
ぼろぼろになり、「貧困」と「格差」をあえて作ることによって、社会を統制する。
統制した社会の先には「地球の画一化」が待っているわけで。

 そういう中を生き抜かなければいけない、私たちは年がら年中「緩め」たり、
「安心」して生きることなんか一切許されないわけで。
一度緩めたり、安心したりするとどこかで見えない落とし穴にハマって、
職も収入も、はたまた家も家族も失ってしまう。

 こんなことを目の当たりにしたら、働くことにも、結婚して、子供を作って、
家族を作って生活すること(=信頼できる人と一緒になって人生を生きること)にも
懐疑的になるんだよな、いわゆる「健常者」と呼ばれる「定型発達者」には。

 けれども、知的障害、精神障害、発達障害のような「非定型発達者」には
「定型発達者」から差別と虐待から来る貧困をこれでもか、と喰らいすぎて、
人生の殆どを「孤独」なまま生き延びている。
その中で蜘蛛の糸を垂らしたら、どうなるか、わかっているよね?

 というか、蜘蛛の糸を垂らしたら、垂らした人に対して愛情という好意を
示してしまうことを知ってか知らずか、よくわからないけれど、この心理的活動を
利用して「非定型発達者」を喰い物にする半端モンが存在している。

 お話が進めば進むほどこの「定型発達者」と「非定型発達者」による
「生きたい」(ふんわりとした「死にたくない」)という希求のぶつかり合いが
ひどくなってきて、「共存共栄」と世間は言うけれど、一体何なん?という
問が絶え間なく客席に降り注いでいる。

 「定型発達者」が考える「共存共栄」は「勝ち役」が利益を得るために「負け役」の
人格を「否定するふり」をしながら「利益を得るために必要な犠牲」を押し付ける。
この活動から出てきた言葉を変にありがたがる。

 ・・・なんか、それ違うんですけど。

 人間、もしくは生き物という存在は「変化」というか「可塑性」を持っていて、
役割と立ち位置によって、この「変化」や「可塑性」を活かして活きている。
それぞれの「変化」や「可塑性」を侵害しないように生きていくことが「共存」であり、
「共存」の結果として産まれたものが「共栄」何だ、ということをラストでそれとなく示している。

 書き手も演者も、人間観察力が秀逸で、「あるある」がたくさん生まれていたよ。
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