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柴田智之一人芝居「寿」

「この今まで、どう生きてきたか」の集合体が人類の歴史。

 ・・・とは言うものの、歴史自体には理由なんてないし、起こったことに対する
意味なんて、何にもない、ただ単に起こった「結果」を「演じている」、ただそれだけ。

 という空気が開演前の表演空間から漂っていた。
なんていうか、シンプルに「老人介護施設の現実」を見せてもらうと
「人それぞれに違った人生があって、この人生をまるまる引き受けること」が
いわゆる人権の尊重や尊厳を守ることにつながる、とはいうけれど。
(自分がやられて嫌なことは嫌だろ?)
 
 現実は自分がやられて嫌なことを他人に押し付けて笑いながら生きてた人間も、
自分がやられて嫌なことを他人から押し付けられて泣きながら生きてきた人間も
同じ老人介護の施設にいて、おんなじように下の世話や寝かしつけ、食事の介護を受けている。

 どっちがどっちかよくわからんが、望んでいたことが現実と違う、と
怒って、けれどもどう怒っていいか、というか自分が一体どうしたらいいかわからなくて、
気がつけば介護者、支援者との関係がおかしくなって、介護者、支援者の人権が侵害され、
尊厳が破壊されて、不安定な空間が生まれる。

 その中で、尊厳を保っている一人の老人との交流を通して自らの尊厳を取り戻す、
というのが前半部、火葬場の炉前、自動的に燃やされるところまで運ばれていく様子を
想起してしまいそうなコンテンポラリーダンスというか舞踏を挟んで、この老人が
どう生きてきて、どう尊厳を失い、取り戻していったか、という後半部へとつながる。

 学校の先生をしたのは戦後だよな、本当は特攻隊に入って、死ななきゃいけなかったのに、
そういう家庭の立場、立ち位置だったのに、飛行機に乗るには背が低すぎて、
潜水艇に乗る、と決まれば大きい病気をして乗る(死ぬ)ことが叶わず終戦。

 ・・・だから、周囲は「死んでくれりゃいいのに」と戦争に行けなかった人を陰で言い募り、
逆に「死んでくれてありがとう」とも戦争で死んでいった人を陰で言い募る。

 その人がいると邪魔なので、戦争や自然災害で死んでいなくなれば、都合がいい。
という思考パターンが70年以上私達の心の中に巣食っているから、ふうっ。

 生きているうちに良い結果しか回ってこない人間も、悪い結果しか回ってこない人間も、
ああだ、こうだ言っても、何にもならないし、何にもならないことを重く考えても私の身が持たない。
こういうふうに根っこだけ見て自分を生きてれば・・・なんとかならねぇよ!
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itumo25254you

Author:itumo25254you
演劇を見て、感じて考えて書いていきます。
ひとつの言葉が次につながるきっかけになりますように。

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