劇団ぎゃ。 「真夜中のチョコレート」

人生の深みにはまってしまった、さらなる深みを見てしまった。


 今回のアートワークス、「ガーナの板チョコレート」ですか。
客入れ音、よくよく聞いてみると・・・あれっ?
・・・これ陳小春の「情瘤感菌」じゃねーか。
小春のオリジナルか、と思ったが、実は本歌がきちんとあって、
その歌はシャンソンだったのか、という意外なところからくすぐりをかけてくる。
さらに前説、ぎゃ。のオリジナルメンバーが原点であるところの
博多女子高校時の制服を着て、というかその当時を彷彿とさせる格好で
「エンターテイメント」をぶちかまして本編に入る。

 それにしては、いままでのぎゃ。らしくない入り方だ。
なんていうか、「運送業」というある意味「ブラック」な企業の
日常生活ってやっぱり、というか、かなりえげつないところを見せつつ、
じわりじわりと「異常なるもの」という波が足元からひたひた来ている。
 気がつけば、「ダルマ落とし」の一番上のところに座らされていて
「物語」というハンマーで一番下の段を一段ずつ「撃ちぬかれた」感じを味わうことになる。
てか、さんざん笑っていたら思わぬところから「深遠なるもの」を見せつけられた。

 「依存する」とは一体何なんだ?
というか、人はどうして「依存する」ことを安易に選択するのだ?
・・・もしかしたら、人間が十全に機能できる数は奇数ではなく、偶数なのかも。
人間が奇数で存在する時、そこにある「隙間」に「もの」や「出来事」が挟まると
「依存する」という行為が発生し、「ひと」が挟まると「共依存」という行為に化けるのだろう。

 よい精神状態で関われば、よい形で「依存」できるだろうが、
こういうふうにあまり良くない環境、精神状態で挟まってしまったから
体がチョコレートのように溶けてしまうのかもしれない。

 「リアル」な世界と「リアルじゃない」世界、というかリアルか、そうじゃないかが
わからなくなっていることが強い半面、切なくもある。

それぞれ異なった特性を持つ客演勢の「適材適所」の使い方や、エンタメで押し切るところを
あえて、「身体言語」の要素を取り入れて「からだに喋らせる」技法を使ってみたり、
さらにはこの後に続く「演劇大学・福岡」で自分の知るところより以前のぎゃ。を
これまた「身体言語」を使う白玉女史と組んで再編成してみたり、
「新しいぎゃ。」はこうするんだ、という方向性と強い意思をみせてもらった。 



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