スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

劇団ぎゃ。 「真夜中のチョコレート」

人生の深みにはまってしまった、さらなる深みを見てしまった。


 今回のアートワークス、「ガーナの板チョコレート」ですか。
客入れ音、よくよく聞いてみると・・・あれっ?
・・・これ陳小春の「情瘤感菌」じゃねーか。
小春のオリジナルか、と思ったが、実は本歌がきちんとあって、
その歌はシャンソンだったのか、という意外なところからくすぐりをかけてくる。
さらに前説、ぎゃ。のオリジナルメンバーが原点であるところの
博多女子高校時の制服を着て、というかその当時を彷彿とさせる格好で
「エンターテイメント」をぶちかまして本編に入る。

 それにしては、いままでのぎゃ。らしくない入り方だ。
なんていうか、「運送業」というある意味「ブラック」な企業の
日常生活ってやっぱり、というか、かなりえげつないところを見せつつ、
じわりじわりと「異常なるもの」という波が足元からひたひた来ている。
 気がつけば、「ダルマ落とし」の一番上のところに座らされていて
「物語」というハンマーで一番下の段を一段ずつ「撃ちぬかれた」感じを味わうことになる。
てか、さんざん笑っていたら思わぬところから「深遠なるもの」を見せつけられた。

 「依存する」とは一体何なんだ?
というか、人はどうして「依存する」ことを安易に選択するのだ?
・・・もしかしたら、人間が十全に機能できる数は奇数ではなく、偶数なのかも。
人間が奇数で存在する時、そこにある「隙間」に「もの」や「出来事」が挟まると
「依存する」という行為が発生し、「ひと」が挟まると「共依存」という行為に化けるのだろう。

 よい精神状態で関われば、よい形で「依存」できるだろうが、
こういうふうにあまり良くない環境、精神状態で挟まってしまったから
体がチョコレートのように溶けてしまうのかもしれない。

 「リアル」な世界と「リアルじゃない」世界、というかリアルか、そうじゃないかが
わからなくなっていることが強い半面、切なくもある。

それぞれ異なった特性を持つ客演勢の「適材適所」の使い方や、エンタメで押し切るところを
あえて、「身体言語」の要素を取り入れて「からだに喋らせる」技法を使ってみたり、
さらにはこの後に続く「演劇大学・福岡」で自分の知るところより以前のぎゃ。を
これまた「身体言語」を使う白玉女史と組んで再編成してみたり、
「新しいぎゃ。」はこうするんだ、という方向性と強い意思をみせてもらった。 



スポンサーサイト
プロフィール

itumo25254you

Author:itumo25254you
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。