柿喰う客 「無差別」

壮絶なる、「かみころし」の物語。



 公演ギリギリまで、行くか行かないか迷っていた。
行く事でたくさんの面倒事に巻き込まれたくなかった、ともいう。

 そんなことはさておいて、表演空間が物凄くシンプル、
そして天体の関係性を表現したかのように見える「大人のジャングルジム」の作り。
音は岡本太郎がかつて自作の銅鐸を使い、キンコンカンコンと打ち鳴らしたようなものを使い、
光の塩梅と合わせて秋特有の深く、それでいておどろおどろしい夜を表現している。

 この空気で繰り広げられるものがたりは「差別と被差別」、「あなたとわたし」、「狩猟と農耕」、
そして、「始まりと終わり」、これらの要素が「ニンゲン、ヒト、ドウブツ、ケモノ」という立場、
また「天上、地平、地下」という場所、「日常と非日常」という状況の3つを圧倒的な
スピードで変化させてしまったら、行き着く先は壮絶なる「いただきます」と「ごちそうさま」だった。

 ・・・ということは「親を殺す」ということは「神を殺す」ということにまでつながっているのかもしれない。
突き詰めると、生きとし生けるものはなにがしか「食べなければ、生きていけない」訳で、
「食べる」ためには何かを「殺す」という作業をしなければいけない、ということなのだろう。
故に「殺したら、食べろ、食べないなら、殺すな」という事も言えるよな。

 なるほど、生きとし生けるものが「正に単独の存在」で「生きていく」≒「孤立する」ことは
「可能・不可能」という次元を飛び越えて「できない」、「無理」という前に「ない」というレベルなのか。
だからこそ、それぞれに段階、というものがあり、役割というものがある。
で、「秀でている」と「勘違い」した存在が段階や役割を「逸脱」することが「神になる」という行為であり、
逸脱してしまったが故に「生きとし生けるものの関係性」から「追放」された。
この世はすべからくこういったことの繰り返し。

 「生きとし生けるものの関係性」から追放されたからこそ、存在が神格化され、
その身は防腐処理を施され、透明な覆いを被せられ、厳重な温度管理やら何やらの元、
時間と人間を限って供覧されているのだな、と感じた。
そうでなければ、その身を焼いて灰にするか、埋めて土に還すか、という手段で
「生きとし生けるものの関係性」というものを保っていかなくてはいけないわけで。

 おしゃれでかっこいい皮に隠れた「深さと重さ」を感じてしまった。
スポンサーサイト
プロフィール

itumo25254you

Author:itumo25254you
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR