Capri  「apartment」

「ことたま」という「魔法」。


 魔法、というものを直で見た。とはこのことだろうか?
ラジオやらなにやらでお世話になっているばばさんを初めて生で見るが、
ひとつひとつのパーツがでかい、そして懐もでかい。
もしかして、自分がメディアの世界にいるか、彼女が堅気の世界にいるかしたら
好きになっていたかもしれない、それくらい安堵するのだ。

 けれども、わたしという「人生」に彼女は居るのだろうか?

 そんなことを感じながら表演空間へ。
今回はどうやら「高い場所」に「プライベート」な空間を作り、
「低い場所」に「パブリック」な空間を作る「二重の構造」に仕立てているようだ。

 「数式」をめぐる「愛」の物語と「愛」を「ロジック(論理)」とするならば
ロジック(論理)で愛、というものを語ることができるのだろうか?
もしかしたら「愛」というものは「パッション(衝動)」であって、
「ロジック(論理)」ではないのかもしれない、「人生」がロジックであるならば。

 故に、パッションというものは不確定要素となることが多々あって、
ロジックの「隙間」に飛び込んで「化学変化」というものを起こしてしまうのかもしれない。

 これが「恋愛」という「魔法」の正体なのだろう。

 だから、右手にパッション、左手にロジックという反町康治の言葉は正しいのかも。

 ここに、パブリックとパーソナル・プライベートがマーブル模様に混ざっていて、
というか混ざり合うという感覚すらもわからなくなってしまうから
「生きている」という熱が生まれ、他者に働きかける。
この働きかけが「出会い」となり、出会いが積み重なって「わたし」は「わたし」となる。
おしゃれな仕掛けとして「サンドイッチ」という食べ物が存在するわけだ。

 ノーベル賞をめぐって引っかかるもろもろ事に関して、
「あなたが引っかかるところはことたまの良し悪し」だったのだろう。

 「生きている」という熱が「言葉」にはあって、他者に響かせることなく
自らの中に飲み込んでしまわせるとそりゃ苦しくなるだろうよ。
この苦しさを抱えて毎日を積み重ねている。
もしくは果てしない「つづく」の積み重ね、というのかもしれないが。
 このつづく、に異質なものがたまたま入り込んで狂いが生まれるから
良きにせよ、悪しきにせよ、何らかの反応が生まれる。

 ここで生まれた魔法の言葉は本当は言葉自体が魔法なのだろう。だからこそ軽々しく扱えない。
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テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

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