劇団go to 「タンバリン」

つよいはよわい、よわいはつよい。

 演劇も、ボクシングもシンプルだ。
そんなことを強く感じる表演空間を作っている。
面積も、エプロンの高さも、ストレスなく目が届くように作られていて
まるでロープの張られていないリング。

 さらには技術指導という形で”sparky-K”、もしくは「鬼塚勝也」の名前を聞くとは。
現役引退後博多の呉服町あたりでボクシングジムを開いている、という話を聞いたことはあったが
こういう形で「演劇」の中に入ってくるとは思いもよらなかった。
まあ、あれから結構な時間が経ったけれど、無事に積み重ねることができて何より。

 ごとーかおるさんもごとーかおるさんだ。
前いたk2t3を離れて、新しく「自分の庭」たるgotoを立ちあげなければいけないほど
「表現したいこと」が漲りだして、このマグマがかなりのエネルギーで、ものやことが
ギリギリまで「リアル」を追求し、ここにおしゃれな感覚を加えてきた、という作りになっている。

 演劇をやり始めてから、ボクシングやレスリング、柔道を始めとしたすべての格闘技は
「コミュニケーション・スポーツ」である、ということがわかってきた。
見る人にとっては「単なる殴りあい、組み合い、投げ合いじゃねーか」と思う人もいるけれど。
がだ、「格闘技」をそういうふうに「単純」な形で捉えるのならば、死人が大量に出てしまう。

 それほど危険なことなのに、稀な形でしか死人が出ないようになっているのはなぜだ?
・・・「コミニュケーション」の要素がここで大きく関わってくるのですよ。
人は誰しも「本能」だけで動いているわけではない、かと言って「理性」だけでも動いているわけではない。
「殴る」や「蹴る」、そして「組む」という「身体言語」というものを使って相手と「会話」をしている。
この「会話」をより良くするために身を削るほどの修練や鍛錬を「生活」としなければならない。

 だから格闘技は突き詰めると哲学へと変化していくのかもしれない。

 そうなるまでの過程をふつうの生活を生きている、普通の女性に落としこむとこうなるのか。
ボクシングという「身体言語」を教え、教わることでお互いがお互いを変えていくさまが心地よい。
けれども、ここに派生する「変化」というものは若ければ若いほどリズムやスピードをもって生まれては来るが
年を取ればとるほどリズムやスピードがゆっくりなものになり、不思議な焦りが生まれる。
「懸命にやっていてもそれなりにしかならない」故の「前に進んでいないのでは」という辛さ、ともいう。
 この辛さに「現実の生活」という「過酷」が重なれば「新しいこと」がうまく体になじまなくなる。

 心が折れそうなほどしんどいけれど、他者とボクシングで会話をするという希望が支えていた。
けれども、寄る年波はその希望を容赦なく打ち砕いたけれど、「出しきった」充実感がそこにあって
歩みはゆっくりだけれど、また「新しいわたし」へと進んでいくのだろう。

これは、ある意味、「誕生の物語」とも言い換えられるのかも。
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テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

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