きらら 「こども廃業」

「大人」というものの概念を疑ってみる。


 表演空間の色目があまりにもポップ過ぎる。
鮮やかな白、とはこういうものかという色をベースにパステルの青とピンク。
・・・これ、クリーク・アンド・リバーが経営に参画して以来のサガン鳥栖じゃないか。
しかもアウェイ用の色目、考えてみるとアンブロって嫌味にならない色の置き方をする。
2014年ワールドカップ後にブランドが消滅するのが大変惜しい。
それにしても2013シーズンからのウォーリアの色目はなんかや(以下略。

 そんなことを思っていると表演空間を演者が上へ下へと細かく動いている。
動くことで空間自体が「びっくりばこ」のような仕掛けであることを
それとなく見せている仕掛けに感心してしまう。

 中身はぶっちゃけて言えば「アダルトチルドレン」の話しやら、「服従」の話しやら、
「大人」というものに隠された数多くのドロドロとした暗黒、というものをおしゃれに見せた。

 ・・・ふと思う、「おとな」っていったいぜんたいなんなんだ?
「日常」というやつを「自由」に生きることができるから「おとな」なのか?
「夢」と呼ばれる「理想」を追い求めることができるから「おとな」なのか?
 これらはしっかり捕まえておかなければ、いつの間にかそこにいて、
いつの間にかそこから消えてしまう。
しっかり捕まえることは簡単なことじゃない。
ということは、「おとな」を生きるということはとても簡単じゃない、ということ。

 そんなことを考えず、人生をより好みせず生きていくことなのだろうが、
わたしたちは不幸にも「世間」というものを知らず、もしくは「世間」を知りすぎてしまった。
知らなくても、知りすぎても、痛い目を見てしまうし、疲弊してしまうわけで。

 より好みせず、人生を生きてしまったら人道的に「踏み越えてはいけない場所」へ
足を踏み入れてしまう、その先に見えてきた「現実」というものは斯様にえげつなかったのか。

 その「えげつなさ」を隠して、と言うか「ごまかし」て、「大人でございます」と大きな顔をしても
なんか細かい所で大人になりきれていないじゃないか。
・・・隙間がない、といっていながら実際はものすごく隙間だらけだよ。
その隙間に付け込んでよりえげつなく、より「おとなのふりをした子供」がお金を作る。
そしてその隙間と別の隙間の間で大きなお金が動いてしまう。

 その様子を冷静に見つめるためには「こころ」が必要だ、という。
この「こころ」とはわたしのどこにあるのだ?
・・・あ、この問い、わたしが子供の頃よく抱えていたやつだわ。
大事に抱えて、こうして演劇というものに触れて暖めていたらひとつの結論にたどり着いた。
「こころ」というものは「脳みそ」という器官が創りだした「思想・思考」というものなのだろう。
だからこそものすごく硬くて、重くて、厄介だ。
他人は「考え過ぎ」だとか言うけれど、考え過ぎるほど「転がして」おかなければ
肝心なときにベストの「こころ」にならないわけで。

 こういったお話を真面目にやればやるほど重たくなって胃もたれのひどい見後感になりがちだが、
そこにあるものすべてがポップだからそういった胃もたれがないのです。
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テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

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