飛ぶ劇場 「機械が見れる夢が欲しい」

モノごっついエンターテインメント。

一歩足を踏み入れた瞬間、ここはファッションショーでもおっぱじめるのか?
という空気が流れ、その空気の中、もう「演劇」は始まっている。
見手にとって、空間の中に一歩足を踏み入れて、どこで見ようかと座る場所を
全席自由の場合は探し、指定席の場合どんな景色になるのか指定された場所を探す。
ここから演劇というものが始まっているのかもしれない。

 こうして見手と演じ手が曖昧に混ざった所であの人生ゲームをパチンコ屋のノリで
おっぱじまって、仕事が決まった、家族ができた、金の卵がどうのこうの、
海の見える家がどうのこうの、というやり取りを見て、聞きながらこんなことを思う。

 私はそういったところからはるか遠くの場所にいるのか。
というか、「物質的な意味」からは「身軽」なのかもしれないけれど、また別の意味で
何かを背負いすぎているところがあって、人生ってシンプルではあるけれどややこしい。
・・・だからこそ「好事、魔多し」なのか、とはっと気がつく。

 そうしていたら、いつの間にか物語が始まっていた。

 視覚、聴覚、おまけに触覚をフルに刺激されて、いろんなTVゲームの要素がこれでもか、と入ってやがる。
陽の光畑、ペコメン、なんかリアルとゲームが変な具合に混ざっていて、正直、遊び方、というか
人生のルールに戸惑ってしまう、戸惑ってしまうからその先に進めなくなる。

 進めなくなるのは癪だから、少し腰を据えてみようか。
・・・まずは「名前」を入れるんやね。
「名前」を入れたその瞬間、物語が疾走を始める。

 ああ、こうして人はNintendoDSやらPSP、そして携帯電話やスマートフォンで
ゲームやソーシャルゲームにハマり、日がな一日暇さえあればピコピコやるようになるのか。
「疾走感」と言うか「巻き込まれ感」が半端ない。

 それにしても、現在というものは「流行り、廃り」のサイクルがより恐ろしく早いわけで、
世の中に存在するありとあらゆる「仕事」というものがこのサイクルから外れないように
対応するため四苦八苦している、という現実があって、この現実を疾走すれば疲弊がひどくなり、
結果、現実から失踪中、という現代の病理がそこにあった。 

 さあ、次は何だ、と進み行けば今度はキリストさんの「最後の晩餐」だ。
ああ、Queenの"We'll rock you"ってそういうことだったのか、と納得して
さらにすんなりと演劇のセリフとして成立させてしまう、という凄みを見せつけてしまう。

 「ワイン」という「血液」を飲み、「肉」や「パン」を食らう。
その飲み方が、食べ方があまりにも汚ければ汚いほど「貪欲さ」というものが
より一層はっきりと現れる、現れれば現れるほど「キリスト再生」とは一体何なのか、
もしかしたら「ユダ」というものが「不浄」の存在であって、
浄と不浄の「ぶつかり合い」があの場所だったのか。
もし、そうだとしたら私たちは「汚いもの」を扱い過ぎているという
現実と事実を握りつぶして「ないこと」にしているのかもしれない。
で、この「あること」を「ないこと」にしているごまかしに耐え切れず、心と身体を壊した。
そういう「病」に対する「処方」として「ゲーム」というものを使った「現実逃避」になるのか。

 がだ、この「処方」されたものがあまりにも「バグ」という「間違い」ともいう「副作用」が
たくさんあって、というか、それだらけで、ひとつひとつ潰していけばいくほど
「人の弱さ」やここから派生する「現実の不条理」までもがじわじわ見えてくる。

 この塩梅が「単純な仮想空間」から「ものがたりのある仮想空間」、そして
「キネクティブな要素を持った仮想空間」を通り抜けて、たどり着いた先が
「アヒルレース」というここは別府ラクテンチか、という現実空間へと見手を運んでいく。
コンテンポラリー・ダンスというものを媒介として。

 なんか、劇場にいながら大規模ゲームセンターの全フロアを回った感覚を覚える。
シューティングゲームもあるし、beatmaniaも、ダンスダンスレボリューションもある、
競馬のゲームやデジタルポーカー、デジタルビンゴ、コイン落としという
賭博性のある台はないけれど、なかなか豪華で渋いセレクトだ。
・・・特に本物のアヒルを使ったアヒルレースは。

 そういったゲームセンターの賑やかさをこれでもか、と見せて
この賑やかさの裏にある「この思い、誰に向けて伝えたいのか」ということや
「この商品を誰に向けて作っているのか」ということが
わからなくなってしまったことに気がつく。

 何もかもがわからなくなった時代は世の中に存在するすべてがどれも「本物」となり、
逆にすべてが「偽物」となってしまうのだろう。
この事実を私達はまだ知らないだろうし、これからも知ることはないのかもしれない。
「生きる」ということが終わりを迎える、遠くもなく、近くもない「その日」まで。

 けれども、「終わりは始まり」でもあり、「始まりは終わり」なわけで。
また別の同じ「現実」というものが「新しい周回」として手ぐすね引いて待っている。
・・・なんか色んな意味でぞくぞくするやね。

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テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

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