ガレキの太鼓 「終わりなき将来を思い、17歳の剛は  空に向かってむぜび泣いた。オンオンと。」

知らないあいだに巻き込まれる。


 タクシーで「ながい宴」からアイアンシアターに戻ったら、
空間そのものが「内緒」になっていて、しばし雑談しながら待つ。
・・・学校の教室そのものになっているじゃねーか。
いつの間にか場の空気に馴染んで雑談の続きをしているよ。

 それにしても、この学校、フリーダムすぎる。
というか、自分の学生時代の「スタンダード」と現在の学校の「スタンダード」が
大きく違っているのかもしれない、ということをつらつらと考えていたら、
つい最近までよく見ていた夢のことを思い出す。

 もう、学校という場所から離れてかなりの時間が過ぎている、というのに
学校行かなくちゃいけない、けれどなにも宿題していないし、用意もしていない、遅刻しそうだ。
授業を受けるにしてもなんか色んな意味で「逆ギレ」をかましていやがる。
自分の心と体がひどく疲弊していた時、そんな夢を朝起きる前数時間の間に見ていた。
その気持ち悪さで目が覚めて、それでも疲れは取れなかった。

 人は心と体が疲弊すると日常と非日常が複雑に混ざった夢を見やがる。
なんてことを考えていたら、学生時代には感じることができなかった
フラットな心と身体で授業に臨んでいるわたし、というものを感じてものすごく新鮮だった。

 ああ、普通の人はこんなかんじで朝のホームルームから
最初の授業へと入って行くのだな。
で、流れが進むに連れてその時できなかったことをやるように
わたしの心と身体が動いていた、知らない間に。

 ここに本筋のお話である、「なにも言わずにさようなら」が絡みに絡みあって、
昔のわたしが非常にバイヤスかかりまくりだった、という
現実を残酷なくらい見せてくれる。

 さらに、数学、というできないものについて「できるふり」をするのは大変しんどい。
でも、そのふりをしなければお話が進まないわけで。

 これらそれぞれの状態を行きつ戻りつしていたら、
わたしが次第に「分離」していくではないか。
「物語の中にいるわたし」、「かつてのわたし」、「物語と過去を眺めている傍観者」に。

 この3つが反応し合うことで見えてきたことが、
自分自身の発達障害が社会通念で求められる発達から15歳遅れていて、
故に自分自身の高校時代は何もできなかった、悔しいけれど。

 ああ、今ここにいる私の感覚が社会通念で求められる高校時代の発達なのだろう。
そしてそれから先の発達も演劇に取り組んだことで何とかなった。
その中で暖かい関係性を手に入れることができたのかもしれない。

 不思議な体験だった。
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テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

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