九州戯曲賞リーディング公演

「死」という「深淵」から「生」という「可能性」を覗き見る。



 今回の九州戯曲賞大賞作品、どう贔屓目に見ても、
ある意味カルトで、マニアック、そしてある意味ぶっ飛んでいる。
・・・「個性」というものがあまりにも強すぎて好き嫌いが極端に分かれそうだ。
こんな一癖も二癖もある戯曲をこれまたおーたさんとももせさんという
これまた一筋縄では行かない演出でリーディング公演を「ぶちかます」趣向。

「家出」 谷岡紗智
 さて、賞が決まって、「え、両方共知らねぇよ」と朝早くに
電車の中でTwitterかましていたら、ある人から早速返信が来た。

 ・・・このひと、「さちん」というひとだよ、私は見ていないけど
このホン、去年の春に箱崎のものすごく小さいハコでやっていて、
見た人によるとものすごい出来だったよ。

 この話を聞いて、佐賀で毎月ある「金ショー」と言う試みに
行ったことをなんとなく思い出した。

 演目と演目をつなぐ喋り手をやっていたような、
もしそうだとしたらあの頃からすごかった。

 確かに、選ぶ言葉のひとつひとつからして
「ものすごく頭が良くて、個性的」なものを持っていたが故に、
廻りとしっくり来なくて「学校」という場所に馴染めず、
それよりも少し自由なところに行っていた話をしていたな、そういえば。
 
 だから、「家庭も糞なら学校も糞」と言いながら
「安全、安心な逃げ場」というものが見つからず、
「援助交際」という「危険だけど落ち着く場所」へと
進まざるを得なかった毒々しさが端々にあるのか。

 この毒々しさをおーたさんがここ最近の「生体の生地」を
より深めていくために自分の体を使い、演劇以外の場所で
学んだ「試み」で見つけたものを使って「演出」という「解毒」をしていく趣。

 ・・・ものすごくお互いの「らしさ」が掛け算になっていた。
正直、女の子は腹を決めればアンダーグラウンドな所で
体を売ってお金を稼ぐことかできる。
そうして自分が「糞」と思う場所から離れることができる。
けれども、男はそこまで出来る勇気のない意気地なし。
だからかも知れないがただ導かれるようにひたすらに
ある高い山を目指し頂上へ向かう。

 なんて言うか、お話が進むに連れて「生きている」と「死んでいる」は
薄皮一枚の「儚さ」を持っていて、さらに「再び生まれる」という「営み」が
「死ぬ」と「生きる」という「営み」に見えないくらい極めて細い糸で
「つながっている」さまがありありと見える。

 
「憑依」 川津羊太郎

 GKKという熊本の戯曲書きが書いた作品をリーディング公演で
「お披露目する」という試みに演者として参加することで
大概の戯曲書きについて名前は知ることができた。
がだ、この人の名前は聞いたことがない。
もしかしたらゼロソーとか第七とコラボした高校生なのか、と
聞いてみたら、違う、という。
公演当日、経歴をちらと見たら大阪芸術大学という
「関西演劇」のメインストリームを形作るひとつを出ている、
という話を聞いてアンテナに引っかかってこなかった、
もしくは引っかかっていなかったことに納得する。

 と言うか、この人「映像の人」じゃねーか、
だから引っかかってこなかったのだよ。
それが何より証拠には、ももせさんの持ち味である
「メタリック」な生命音を効かせた中に
湧きだした「ト書き」という「言葉」が恐ろしいくらい細かい。
 
 この恐ろしいくらい細かい言葉を「映像」と言う形で
これでもか、とぶつけられると明け方に見た、
ある夢をありありと思い出す。

 ・・・わたしは天変地異が起こったあとの道を何処かに向かっていた。
その何処かは山を幾つか越えなければたどり着けない。
当然、いつも使う道は損傷があまりにも激しくて使えない。
ものすごく荒れている峠道があるのだが、途中で歩き道が
途切れている、けれどもわたしの歩みは止まらない。
気がつけば、こんこんと湧いている流水に自分から飲み込まれた。
その時と同じ感覚がまた、体の中に入って来やがる。

 こんな状況下でえぐいほどの「狂い」を延々と見せつけられると
正確な時間感覚と身体感覚それぞれがぶっ壊れてしまう。
・・・上の妹の義理母がかねてよりこころを壊していて、長い間入院していた。
で、やっとこさある年のクリスマス前退院することができたが、
なんか、ある日衝動的に首をつって死んだ、という出来事とほぼ同じことが
今、この板の上に繰り広げられていて、上の妹の幼い息子の目線や想いは
こうだったのか、という「戦慄感」がじわじわとのしかかってくる。

 さらに土地をめぐる「差別」と「被差別」、ここから派生する
いわれのない「憎悪」、または「諦め」から生まれる「憤怒」と
諦めに対する「憎悪」、これらが掛け算のようになって
自分で自分を壊してしまう、ということを「発見」する。

 この「連鎖」に絡め取られていく可笑しさ、悲しさ、
さらにはこの可笑しさ、バカバカしさを「断ち切る」ために
「ざまあみろ」と自ら死を選ばざるを得なかったつづら折りがえげつない。

ふたつを総括してみたら、
普通の人は「生」から「死」を眺めてああだ、こうだ言うのだが、
逆に「死」から「生」、もしくは「性」その先にある
「生まれ」(産まれ)を緩急自在に聴かせ、見せていることが半端ない。
半端無いから深淵に突き落とされるかのような重力感が恐ろしかった。
 この話を聞いて、佐賀で毎月ある「金ショー」と言う試みに
行ったことをなんとなく思い出した。

 演目と演目をつなぐ喋り手をやっていたような、
もしそうだとしたらあの頃からすごかった。

 確かに、選ぶ言葉のひとつひとつからして
「ものすごく頭が良くて、個性的」なものを持っていたが故に、
廻りとしっくり来なくて「学校」という場所に馴染めず、
それよりも少し自由なところに行っていた話をしていたな、そういえば。


 この部分は、数年前、別府であった「九州演劇人サミット」という
話し合いで、もしかしたらさちんに会っていたのかな、
ということを前提で書いていた。
で、こないだ遠方からの客人と飲む機会があり、その場に彼女がいたので
この話を聞いてみたが、どうやらその場にはいなかったらしい。
・・・私は人違いをしたようだ。
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