prayer/s 福岡公演

       「陽」は「陰」がなければなにも生み出せず、
        「陰」は「陽」がなければなにもできない。


 「魂」の「陰」と「陽」がもつそれぞれの
寄せては返す「エネルギー」が渦巻いている表演空間。
この渦巻くエネルギーを感じるには「洋服」でさえも
自らの持つ「なにか」を守っている「よろい」になっているのでは?
ということを思わず考えてしまいたくなる。


 長崎、「トイレコントロール」というものにしくじり、
変な感じで尿意がじわじわと来て、万が一の備えはしたものの、
備えを見失い、腹を決めて物語に何とか入ったものの、
自分自身が物語に入る前に起こっていたことの「情報量」が
あまりにも多すぎて、肝心要の「芯」の部分を感じそこねていたことに
じわりじわりと気がついて、正直、情けない気持ちになる。

 という訳で今回の福岡、入念にトイレコントロールを行う。
水分量をコントロールして、こまめにトイレへ行く。
それから早めにハコに着き、ポジションを素早く決めて、
早いタイミングで「流れ」に入り込めるか、空間の隅々にまで
目を凝らし、にじみ出る普通では聞こえない音に耳を澄まし、
そこに存在しているすべての物や事に神経の糸を張り巡らせる
「準備」をそれとなくしている。

 そうしているとあじびホールの「広さ」というものが
「掴みどころのない人生」そのものとして目の前に広がってくる。
私は今までこの掴みどころのない人生を
あてどもなくさまよっていたのだろうか?
そんなことを感じ、吐きたくなるほどの苦しさを感じてしまう。
長崎では空間自体がものすごくぎゅっとしていて、
この「緊張感」というものが内に内に入っていっていたのだろう。

 いつの間にかキスコがやってきて「流れる」の詩を諳んじ始める。
「往くものの流れは絶えずしてしかもその原型は留まることを許さない」
・・・これって鴨長明の「方丈記」を現代版にアレンジしたらこうなるのだろう。
目の前の「広い」空間が心の「広さ」を得て更に奥行きのある空間になっている。

 ここに男が不自然な形で佇んでいる。
女が現れ自らの手で作り、整える。
そうしているとわたしの感覚は外へ外へと広がりを見せ、
いつもはどうってことない洋服も「わたしの感覚を締め付ける障害物」と
なってしまい、いつの間にかシャツのボタンをゆるめ、
ズボンのベルトをゆるめ、シャツをズボンから出し、
下着のシャツまで出してまで不思議な緩さを感じるように
今起こっていることを受け取り始めた。

 パーカッションにより、「魂」の物語が強調され、
ここにうえのといわもとによる「現実の生活」というものが
同時進行でやって来る。

 「生活」というものと「魂」というものが付かず離れず動き出し、
いつの間にか「男」と「女」という存在が
「陰」と「陽」という存在に化け、その瞬間から一度緩めたものを
再び戻すためシャツのボタンを掛け始めている。
ボタンを掛ける作業が進むにつれ、表演空間自体も
だんだん「陰」と「陽」が離れながらもお互いを探して
求めて、再び出会って、混ざって、ひとつになった。

 私たちは「陰」と「陽」の関係性をいつの間にか忘れていたのかもしれない。
この関係性を見失ったがゆえの不都合ばかりの世の中で。
これから、この「陰」と「陽」の関係性を知って、
受け入れることが大事なのかもしれない。


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