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(劇)池田商会 「イゼベルの一生」

「愛」って、一体何なんだ?


 2時間50分(内休憩10分)、な、長い。
前回の瀧猫屋は2時間50分で休憩なし、それを大博多ホールの
あの椅子では恐ろしくしんどかった、というわけで、
途中に休憩があるのは有難かった。
 それにしても、会場が20分押し。
初日、というものはそういうものなのだ、とはわかってはいるが
終了が22時超えてしまう、下手するとビル自体の閉館時間だよ。
おまけに、空きっ腹抱えて家帰るのしんどいぜ。

 そんなことはさておいて、本当に瀧猫組は「福岡発大河ドラマ」の味わいだ。
隠れた歴史、からの題材セレクト、内容のフォロー、作劇、画の作り・・・。
「余計なこと」を考えさせずに最初の数分で「見せる」のがうまい。

 わたしたちにとって、「宗教」とは、「信仰」とは、
「関係」とは、そして、「愛」とは、ついでに
「父性」と「母性」の違いはいったいなんなんだ?

 日本という場所と民族は「無宗教、無信仰」だとか仰る方々が存在する。
・・・そうじゃなくて、「道端の草花にも神が宿る」という「自然信仰」が強く、
この「自然信仰」を行動の規範にしてきた、ただそれだけ。

 がだ、この自然信仰ってやつは「たたかう」こととあまり相性がよろしくない。
「戦う」、ということ自体がその行動に関わったものすべてを傷つけ、
この心の傷は荒みにまで高まり、あらゆる所で不足や欠乏を起こしてしまっている。

 そういった「心の隙間」に入り込むことがキリスト教ってほんとうに上手いな。
というか、「キリスト前」から「キリスト後」のときは「自然信仰」の一面もあった。

 けれども、ローマ帝国の「偶像信仰」(これこそ「他人様教」の始まりだな)による
迫害から自らを守るための手段として「カソリック」という
「システム」を作り、これに「反発(≒抗議)するもの」という
「プロテスタント」が対立軸として現れ・・・。
このことからしても現在のキリスト教、というものが「争い」に特化した宗教だ、
ということがよくわかるようにお話が作られている。

 ・・・だから、あんなえげつないことができるのだよ。
このえげつなさが「狂い」となって、狂いが高じて争いとなり、
争いの中ではどんな狂いも真っ当に「見える」ことが一番恐ろしい。

 さらには、人間という存在は「こころ」と「お金」どちらかしか選べない。
両方を持つことは存在のスペック上、無理だった、ということを
「こころ」を選んだ存在と「金」を選んだ存在の「対立関係」で見せている。

 この対立関係が「信仰」の違いなのだろう。
この違いが「他者」を赦せない「恨み」や「妬み」の感情につながって、
行き着いた先が「暴力」という「愛情表現」となり、魂が狂ってしまったのだろう。

 故に、魂がまともならば「邪なもの」と払いのけようとするものを
狂ってしまったから安易に受け入れてしまう。
これが俗にいう「洗脳」だったのか、という驚き。

 イゼベルさんは実家が神職というこの時代ではある意味
「超能力者(エスパー)」の家系だった。
だから、このキリストのもつ「洗脳」のメカニズムを本能的にわかっていて、
そういった「邪さ」を感じ取り、「夫婦」なのに夫を「拒否」してしまった。

 結果的にこの信仰の強さが大友の家を救ったのだが。
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テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

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