ポークパンダ三歳 「コタツのある部屋」

それが愛なのか、うん。


 えげつない、ぶっ飛んでます。それでいてすげぇ現代アートが効いていて、哲学的。

 「倉庫」の構造をよく生かしている表演空間だ。
外の様子は春が近づいているとはいえ、まだ冬だ。
なのに客入れ音は蝉の声、だけれどこたつ、その上にウィスキーの瓶が置いてある。
本棚には柔らかい本から恐ろしく硬い本、どこでもドアのような扉があり、
「絵描き」らしくイーゼルがある横にノートパソコン。
そこに存在しているすべてがシュールさを醸し出している。

 ここに前説なのか、何なのか、飛ぶ劇の大畑が美しいがこ汚い感じで
マネージメントのこととか、ギャラや交通費という「お金の問題」で
ひと通り悪態突いて、強制退場をかますボードビルショー、
またはスタンダップで場を暖める、というかドン引いたところで
「不幸中毒」のお話に突入する。

 まずは「性的欲求」というものを夫婦漫才でぶちかまし、
ここに精神的に壊れた、そのことを隠すために呑んだくれるという生活が
絶妙の複合具合で見せつける。

 この複合具合があまりにも恐ろしく、恐ろしいがゆえに
「現代アート」というものが見手によっては難しいものになる、という
ひとつの現実まで見せている。
・・・要するに、こういうたぐいの芸術はシンプルかつ、単純な「人の営み」と
言うものを回りくどく、ややこしく「こねくり回して」いる、ただそれだけ。
この「こねくり回したもの」が価値を持って、
大金を運んでくる可能性があるのだからこれはこれで大したものだ。

 この可能性、という「胡散臭さ」にヒッピーという「胡散臭さ」が加わって
犯罪ぎりぎりのぶっ飛び具合に変化する。
さらには暴力の果てしのない連鎖とやり場のないエネルギーが
ぐるぐると「永久運動」を起こして「アート」というやつがよりえげつなくなってくる。

 人は皆、誰かのせいにして、誰かに寄りかかって生きているのかもしれない。
がだ、根っこに「私は悪くない」という「開き直り」が積み重なるとどうなる?
「私は悪くない」という「開き直り」は「みんな、誰かのせいにして」に繋がり、
結果、「みんながみんなに寄りかかっている」という現実が生まれる。

 だから、「わたしがあなた」となって「あなたがわたし」となってしまう。
・・・気がつけばいつの間にかふわっと「わたし」と「あなた」を隔てる
「境界線」、もしくは「結界」が崩壊してさらに混乱してしまう。

 これが「茶番」だったら始末におえないけれど。
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テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

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