14+ 「土地/戯曲」

・・・えらく深い。

 ロックという「魂の叫び」とフォーク(土着)にまつわる
いろんな要素が混ざっているからどこか懐かしく、どこか新しい。

 うーん、表演空間のつくりがそのまま「永山」しているよ。
能舞台を思いっきり意識したシンプルな空間。
ここにサイケでキッチュな色調が加われば
そのまま勘三郎と野田秀樹の「表へ出ろぃっ」になってしまうのは内緒だ。
この空間を見て、さとねえさんもそういえば
日本舞踊の心得があって、というか「正統派博多演劇」を
演る女の子は日本舞踊は必修だったよな、とテアトルハカタを思い出す。
というか、正統派の演劇を演るには日本舞踊は必修だったのかもしれない。

 「無音の音」をベースにして繰り広げられるは
生きている存在が「自ら変化に」関わっていくのか、
これから死んでいくものが自らに取って代わられる様子を
「傍観」していくのか、という「変化」に対するアプローチングの違い。

 まずは「何か」を「失った」存在が笹の枝をもって
能楽、というか狂言のムーブマイムで静かに演っている。
そこにまた「風」や「雨」という自然現象を失い、
「光」を失うことで「力」を失い、加えて「愛」を失い、
最終的に「こころ」と「命」を失う。
ここにギターを抱えたスナフキンがフォークやロックを
まるで「囃子方」のようにリズムを作っていく。

 この様子を眺めながらこれを見た前の週、
柿喰う客の中屋敷法仁さんとのトレーニングキャンプの
中身をじわじわと思い出し、そういえばこういう「人生(人間)」という
テーマでひとつ作品を作る、というのが最終課題だったよな。
そこにたどり着くまでの「アプローチング」として「モダンジャズ」や
広い意味での「バレエ」という体さばきと「テクノ・ハウス」という音を使い、
反応のスピードを上げるためにしりとりや山手線ゲーム、
織田信長ゲームを巧妙に組み立てていた。

 けれど、中屋敷さんは能や狂言、歌舞伎にも造詣が深いらしい。
だからこそ、それぞれの「身体感覚」、「身体言語」を土台にして
「変化」をそれぞれのカタチで表現できている、両方共。
だからこそ、この「土地/戯曲」という「ロードプレイ」があり、
外のものを見て、触れて、その成果が反映できることを
素直にすごい、と感じる。

 あとはセリフや歌の「言葉」が「身体言語」に重なって
どちらもうまく届かないところが多々見られた。
「耳」という観点からも演劇を工夫できたらもっと良くなるのではないだろうか?

 ・・・とはいえ、変に感覚をミスって他の見手に迷惑をかけた
自分が言うことではないが。
まあいい、なにも言うまい、なにも。
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