劇団ぎゃ。 「エンデの時間稼ぎ」

「ファンタジー」と「メルヘン」。


 えっ、ひと月も「演劇を見る」というところから離れていたのか。
鹿殺し×ガラパ「作戦会議」やら14+の「友の会」、
はつかいち「演劇大学」と次の展開への「仕込み」というやつを
それとなくやってはいたが、現場へ行くのは本当に久しぶりだ。

 けれどなぁ、「仕込み」というやつをきちんとやれてはいるが
私をめぐる状況は良化どころか、良化の兆しすらも見えてこない現実。

 お金のこと、演劇と表現についての私が持っている技量の足りなさ具合、
人付き合いを始めとしたいわゆる「社交」のこと、
更には「わたしの人生」について
きちんとしなければいけないことがあまりにも多すぎる。

 そこで見えた弱点として、
他者との関係を作っていく過程で心を開いて行く状態が
あまりにも時間がかかりすぎる。
身体反応の回路、取り違え多すぎ、反応悪すぎ。
そんなことをはつかいちの演劇大学で強く感じてしまった。

 このことはさておいて、椎名林檎調で「黒ネコのタンゴ」というものを
客入れ音でかまされたら、ほんまたまりませんわ。
・・・「ファンタジー」と「メルヘン」は表面的には同じかもしれないが、
実は大きく違うのだよと年明けてすぐ、えだみつアイアンシアターで
あった平松さんの「スクール」で教えてもらった。
わたしが今、そこにいる「現実」というやつに「物語」から帰ってくることが
できるか、できないか、が違いとなっているらしい。

 そういう「線引き」が開演前の空気からよくできている。
できているから「とっておきのお話」というスイッチが入ると
いつの間にかミヒャエル・エンデの持つ不思議な世界に引っ張り込まれる。

 このカンパニーの持ち味は高いレベルの歌謡を軸にしたエンターテイメント。
そうであるがゆえに「身体言語」の甘さ、というやつが大きいハコで演るようになって
課題として出てきた感がチラホラと出てきた。

 この課題を福岡演劇大学で羊屋白玉女史に付いて「場違いな赤」という
初期の短編をテキストにして、白玉女史の持ち味であるおしゃれさや身体の使い方を
ええ塩梅に取り入れた成果が出てきていた。
それが何より証拠には、みさかがやけに美しくなっていやがる。
いままではさほど感じられなかった「エキゾチックさ」というものを兼ね備えた
「身体言語」で見せつけている。
 
 お話の中身は無念のまま死んでしまった人が持っていた「景色」という
絵の具セットを託された少年がこの絵の具セットを使って「わたしが望む世界」と
いう一つの絵を書いては見たけれど、この絵に書いた「欲」という登場人物に
世界を乗っ取られ、取り戻しに行く「冒険記」。
見終わった数日後、ユーチューブなつかしアニメのオープニング動画を
見ていたら「ジムボタン」というやつに妙に引っかかる。
へえっ、「ジムボタン」って、エンデの作品だったのか。
で、ゆきえさんのやった機関車はエマ号だったのね。

 というか、これ、自分がアニメというものを一番最初に感じた作品の一つだよ。
あと、デビルマンとアストロガンガーが朝、目覚めた時かかっていて、うん。
けれど、そんなことを感じさせる暇を作らせないようにきっちりと作り込んでいる。

 確かに、お金、というものは価値がある。
価値があるが故に「貯めこんで」しまいがちなのだ。
けれども、価値あるものを貯めこめば貯めこむほど「欲」というものが
際限なく増殖し、「欲深」という怪物を内面深く育ててしまう。
この「欲深」という怪物は不特定多数の他者に多大なる害をもたらしてエライことに。

 どうしてだろう?
もしかしたら、「バランス」の問題なのかもしれない。
「バランス」というものは「流動性」と言い換えられることができるのかもしれない。
「得る」と「失う」は薄皮一枚で均衡を保っていて、どちらか一方に偏ると
大変なことになるのだが、目に見える、もしくは形になりやすい存在は
こういった「流動性」を簡単に崩しやすくなる。

 けれども、時間のように目に見えないものはちょっとやそっとでは
「バランス」というものは崩れず、「流れ」という「流動性」に任せるより他はなく、
このことが「平等性」というものにつながるのだろう。

 ものすごく深いことをサラリと見せている、ということに凄みを感じた。
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テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

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