非・売れ線系ビーナス 「些細なうた」

三十一文字(みそひともじ)が見せる「方丈」と「豊穣」。



 新しく作り直している、とはこういうことなのか。
この「作り直した」結果がどうなっていくのか、見当がつかないけれど。

本当はこの演目が終わったあと、新幹線で広島まで行って、駅近くの
東区民文化センターでおちさんとこの仕事を見学しようか、と思っていた。

がだ、お金心もとないし、翌日はハンバーグ工場の仕事。
そういうことを思えば二の足を踏む、けれど、諦めきれていない。

 なんか、身の回りで弱ったことがあまりにも多すぎて泣きたくなる。
わたしのこれからをめぐるもろもろごとから目前の日程まで
うまくまとまらないし、くそみそに状況が混乱している。

 へんてこりんなノイズもわんわんわんと来て正直、しんどい。

 ・・・みんな、味噌もクソも一緒にして、平気な顔をしていやがる。

 そんなことを考え、スポーツの世界って、恐ろしいくらいの
「差別主義」に貫かれていて、「差別されている」という
ルサンチマンから来た行動や言動は怖い、ということを
蝉しぐれ、波の音、という客入れを聞きながら思う。
 なんか、恐ろしくぎゅっとしながらも「薄皮一枚」で
何かを見せている表演空間のつくりだ。 

 ここに、猫のように小回りの効いた女の子が3人、そして男の子。

 なぜ、男の子は「引きこもっている」のだろうか?
三十一文字に魅入られて、気がつけば迷路に迷い込んでいたのだろうか?

 三十一文字という迷路で過ごした男の子の物語を
ラジオドラマにする、という
奇特な人がいて、その打ち合わせのため
博多駅筑紫口・セントラーザ博多地下にある
ヌルボンガーデン博多という結構高いが
恐ろしくうまい焼肉屋で肉を食いまくる話があり、
この焼肉屋の作りがあまりにも迷路が過ぎて気がついたら
「私はなぜ引きこもったのか」という
もう一つの物語とこれまた薄皮一枚で繋がって、
「雨宿り」というスイッチで切り替わっている。

 どうやら、人は「居場所」をなくしてしまうと
簡単に迷路に迷い込んでしまう。
最近は不景気なものだから会社という居場所を
追い出されるか、自分から出て行くか。
自分で自分の居場所をなくさなくてもいいのに、
その場所が「まとも」じゃないから
出ていかざるを得なくなってしまう。

 てか、この世の中、「まともじゃない」から
不景気になっているのであって、
その現実から「まともじゃない」存在が
目を背けるための逃避行動で
「ごっこ遊び」を社会的・経済的レベルでやらかしている。

 鋭敏な感覚を持っている一部の存在は
その「ごっこ遊び」がとてつもなく厭だったから
「わたし」の中に「閉じこもる」しか道はない。

 日本の言葉、ことたまは三十一文字が土台として存在して、
この独特の調子、というかリズムを使って
「まともじゃない」ことを表現できているから
言葉、ことたまが持つ「方丈」と「豊穣」が重なって、
おまけに演劇をやる前に起こったもろもろごととも重なって、
いろんなことがじわじわと湧き出してくる。

 「大人」ってなんなんだろう?
世の中の「まともではない」ことに対して妥協して生きていく、というか
そういうことを「うけいれる」、もしくは「理性」というやつを会得することが
「大人」になる、ということなのかもしれない。

 けれども、理性に頼れば頼るほど現在というものは
前にも進めず、後ろにも戻れない、そういう状況が多くなってしまう。
そんな状況を「生き延びる」ための方法がもしかしたら「わらべごころ」という
「本能レベル」を受け入れる、ということなのかもしれない。

 そういったものがたわんで揺れて落ち着くべきところに落ち着いたら
いつの間にか、迷路から出ていた、降っていた雨は止んでいる。
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テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

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