下鴨車窓 「建築家M」

「異郷の地」に向かう、とはこういうことか。

 それにしてもちゃんと生きて帰ることができるのかな。
不安がゾワゾワとわたしの中に入ってくる。

 大博多ホールを絞りに絞った表演空間。
いつもの客席を使わず、舞台上に客席を作り、あえて座席の緑色を見せる。
表演部の真ん中にいろいろなものが重なっていて、結界としてドア、というか
窓が一枚、これが「まな板の上の鯉」というものだろうか。
この場所と状況だからこそ、まじで怖い。

 おまけにロビーからドアを通り、客席にたどり着くためには
さらにはビルの入口からホールロビーにたどり着くためには
数回「登って、降りて」を繰り返さなくてはいけない。
この「作業」が物語の世界で言う山を数個超えて村に来た感じが良くできている。
さらには大博多ビルの一階からホールまで全部階段を使えばもっと大変なことになるが
すごく楽しめただろう、とふと思う。

 
 不安、というものをしっかり受け取っていたらもう本編が始まっている。
この村、なんか「バスク」の血が入ってる、「フランス系」か「スペイン系」か
どっちかはものすごく曖昧だが。

 人里かけ離れた村に都会からやってきた建築家。
与えられた「仕事」はこの村の「村長公邸」を新築する、
その建物の設計をすること、ただそれだけ。

 それにしても、この仕事いろいろ「制約」が多すぎる。
というか、何故に「犬小屋」というものにこだわるのだ?
確かに「名犬ジョリィ」というお話でもあるように、バスクの人は
犬をものすごく大事にするのはよく分かる。
うーん、恐ろしく病的な「お犬様信仰」だ。

 その反面、「犬ハンター」というものもそこにいる。
この建築家と犬ハンター、そして村長の娘、という
「男と女の関係」というものがあって、人里かけ離れた
「閉鎖的な環境」というものの恐ろしさ、という空気が徐々に現れてくる。
村長の娘が持つ「若い女性」というものが濃く出ているからなおさら。

 建築家という「仕事」はある意味アスリート、ある意味アーティスト。
「施主」の要望をできるだけ聞き入れながら、「建築」というアートに
自身の「思想」や「魂」をぶち込んでいく。

 けれど、「施主」が要望を殆ど言わず、あれやこれやと
注文ばかりつけて「建築家」の仕事を妨げたらどうなる?
というか、犬は本当にそこにいたのか、もしかしたら、
「いないもの」だったのかもしれない。
その「いないもの、いないかもしれないもの」のために
「外の人間」が振り回されて、「わたし」というものをなくしてしまう。
「わたし」というものをなくしてこの村の「考え方」に「同化」して
外へ「出さない」ようにすることが狙いだったのかもしれない。

 けれども、外の人間は「仕事をする、お金をもらう」、
そして「次の仕事の場所へ向かう」、という流れで生きているのだ。
この流れで、よりよい仕事をしようとするが、突き返されてばかり。

 どんどんストレスが溜まってきているところに村長の娘も
「外の世界が見たい」と建築家を誘惑、というか誘って行く。

 そうする中で、「認識」というものを少しずつ、少しずつ
「変えていく」作業というものをわたしたちは知らない間に
やっているのかもしれないことに気がつくように仕向けられる。

 この「認識」というものを「変えて」いくためには「他者」の存在が必要。
けれどもこの「他者」の「使い方」を間違えたら「変えていく」どころか、
「変化の妨げ」になってしまう危険性がある。

 ・・・問題は「使い方」のさじ加減なのかもしれない。
大事なことは「当たり前」というものは「当たり前」ではない、ということ。
そして、わたしは様々なことの「全て」を知ることが出来ない。
この「わからなさ」と「分かり合えなさ」というものを理解して、
抱えなければいけない。

 このこと、枝光アイアンシアター屋上でのバーベキューで
ある人と話していた内容と重なっていた。
なるほど、「他人様教」とはこういうことだったのか。
傍目から見たら馬鹿馬鹿しいのがよくわかる見後感。
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