ブルーエゴナク「ふくしゅうげき」

題名を漢字で書くと、「重厚」かつ「濃厚」な物語。

  「ふくしゅうげき」って、なんともはや、えげつない題名だ。
ひらがなで書くからよりえげつなく聞こえてくる。

 そういえば、去年の丁度おんなじ頃、松山でそめごころ見て、
船で小倉に帰り着いて北芸で不思議少年見ることになっていたら
松山にたどり着いて、シアターねこに来てから重苦しいほどに
深々と寒さがやってきて、見終わって、道後温泉まで行って、
足湯で暖を取ってから小倉行きの船に乗ると、明日の福岡行き
高速バス雪のため始発から運休、と船内アナウンスが。

 なんかやばいことになりそうと、いろいろ考えていたら
船はもう小倉、駅前まで歩いて、マクドナルドで飯食って考えて、
とにかく北芸まで行こう、ということになって、数時間待つと、
もう、シャレにならないくらい雪が降り始め、路線バスはチェーンを
シャリシャリ言わせながら走っている。

 チケット代のお金で快速電車に乗って今なら帰ることができる。
「演劇を見る」ということよりまずは「無事に家に帰る」ことを優先させてしまった。

 それから一年後、深々と、というか深、という寒波がやってきて、
またおんなじように北芸に向かっている。
大橋でのきらら「はたらいたさるのはなし」、見に行く前に
うだうだになったうどん粉の脳みそでたさきこぱるに捕まり、
「チケット買って」と言われたものだから(以下略。

 そういうことがあってハコのなかに入ってみると清々しいくらいに何もない
しかも、程よい高さで区切られた素舞台が一つ、そして四隅にマイクロフォンが2つ、
明かりはなんか薄ぼんやりしている表演空間が目の前に広がっている。

 今までのエゴナクは「ラップミュージックと身体言語の化学変化」を
全面に押し出したいわゆる「クラブ系演劇」を持ち味にしてきたが、
今回はそれよりも何か「枯れた(いい意味で)」空間作りをしている。

 その空間で繰り広げられるはとある「中華料理店」の「職場環境」という
ある意味「ヒエラルキー」と呼ばれる「上下関係」というか「序列」というものが
「暗黙の了解」の上に成立していて、「ある程度」はなんとか上手く行っていた。

 しかし、この危ういながらも成立していた「ヒエラルキー」が
何らかの事情で「壊された」時、どうなるよ?

 今まで唯々諾々と「従っていた」裏に隠れている数多くの
ものすごく「ドロドロ」とした負の感情がみなの心の殆どを占め、
こうなっちゃうと「本来の仕事」ができなくなり、その隙間を
「盗み」やら「不倫」とか「人殺し(肉体的・精神的両方共)」、
そして「放火」という危ない方向に行動の矛先を向けてしまうものだ。

 てか、板の上で90分延々と「わたし自身が抱えていた本質的問題」を
見せつけ、直面して、どうやり過ごし、乗り越えていくか、考えな。
といわれている感じだ。

 どどのつまりは「負け」に対する「嫌だ」という感情や、
「同じだ」ということに対する嫌悪感というものが
人生そのものに暴力や、暴言、さらには「不寛容さ」と言った
本来入り込めないものを入り込ませてしまう要因だった。
そして「被害者」もいない、ましてや「加害者」もいない、
底にいるのは素の「わたしたち」だった。

 こういうふうに毎日の生活にありがちな憤怒と憎悪、
これらの結果としての「行動」が「行き着く先」を
ドフトエフスキーの演劇的文脈で表現しているけれど、
重くもなく、かと言って軽くもなく、生きている重さで
コンテンポラリー演劇として、見せるとこうなっちゃうのか!!

万能グローブガラパゴスダイナモス「月ろけっと」@東京

再生する、再起する、という希望。

 熊本では、面白い、面白い、と笑っていたら、知らないうちに
「ああ、お前は一体何をやってきたんだい?」に加えて
「そして、お前は一体何をやらなかったんだい?」という問いかけが
そこはかとなく響いてきて、戦慄を感じたし、その問いかけに答えようとした。

 福岡では「ペネトレイト(突破)」の力強さ、しかも「軽い」ではなく
「重い」ペネトレイトを物語にぶち込んだら、「推進力」というものが
結構重く、力強くなっていて、おまけに「重さ」を感じない。
このペネトレイトで物語を見せると、人間関係を始めとした
「なぜ、そうなるのか」という「知的な迷路」にいつの間にか
はまり込んでしまい、また見たくなる、まるで麻薬のような演劇にまで
「仕上げて」きた。

 さて、この演目の熊本公演後、わたしの身の上が
「壮絶なこと」になってしまった。
というか、「星降る夜になったら」の初演時から始まる
わたしの「壮絶すぎること」が動きだしてきた、ともいう。

 演劇を「見て・演じる」という立ち位置と役割から
「見て・演じる」を自然なやり方でサポートできるように
ありとあらゆることを「学んで、即実行する」というやり方を
始めていたら、いつの間にか窮屈になりすぎて、
また、すべてを放り投げてしまった。

 先ず、「わたしの癖」に特化した「就職エージェント」を探して、
「自分のスタイルで働くための」エージェントを大阪で探し、
見学等の手はずを整えながら、四国の善通寺で
「見て・演じる」を自然なやり方でサポートする、から
「緻密なオペレーション」に転換するなんだかんだを学んで、
実行するプロジェクトに参加した。

 その間に西成の有名ドヤグループにかならずある
「福祉サービス相談所」に行って、住むところとか、
いろいろ足りないところを整えたかったが、
上手く入れそうになく、これじゃまずい、と気がついて
福岡でそういうことができる就職エージェントを探して、
たまたま近所にあるところを見つけて、連絡して、
色々段取りを組んで、この公演の東京分が終わって
演劇優先の生活を一区切りして、「第一段階」に入る
心積もりはしていた。

 その見通しの甘さが・・・結局、いい方に転がった。
年末の四国の善通寺でのアートマネジメント講座、残り、出られません、
という連絡から大阪経由で横浜、東京行って、広島回って
帰ってくる、とか、年末年始の戻し方など、「まずいところ」を出し切るように
持って行かれて、その都度「修正」して、実行する。

 この東京行きだってそうだ。
というか、スケジュール作りのプログラムで当初の日程が
色々不都合がある、ほんとうはキャンセルしたほうが後々いいのだが、
予約をセブン・イレブン行って、お金を払い、チケット化したから
逃げようがない、変更まで無理だったら、と考えていたら(以下略。

 で、スケジュールの詳細な流れを「紙に起こして」見て、動く。
・・・いや、まあ、慌てることがない、とでも言っておこうか。

 わたしのことはさておいて、熊本、福岡公演で見えてきたことは
「生きる」と言うものは人それぞれ異なる量の「持ち時間」の範囲内で
「何をやって、何をやらなかったか」ということの「途中経過」であり、
この「持ち時間」を使い切って、やったものが「結果」として残る。

 ・・・シンプルにいうと、「私たちは命を削って、良きにせよ、悪しきにせよ、
何かを成し遂げようとしている」ということやねん。

 これらを「表現」する物語の「雛形」はゲーテの「ファウスト」という「コンテンツ」。
この「コンテンツ」が繰り返し過ぎたことによる「陳腐化」が
激しくなり、「ファウスト」の「核心部」はそのまま残しながら、
現代風に「選択肢」を「多様に限定化」して、「アミューズメント性」や
「エンターテインメント性」を前面に出す、「リアリティ系コンテンツ」に
まで発展させている。

 コンテンツに必要なのは「進行役」と「狂言回し」、
そして、「コンテンツの主役」たる「ターゲット役」。
カグラザカってやつは「進行役」のふりをしているけれど、
実は「狂言回し」の役しかやっていない。

 ・・・だとしたら、「真の進行役」は誰なんだ?
もしかしたらヤヨイ、という「人間の皮をかぶった悪魔」が進行役なのか?
そう考えないと「自らは選ばないが、ターゲットには選ばせる」、という行動が
熊本、福岡公演で見た時、どうしても納得できなかった。

 しかし、就職エージェントと「癖」を探る作業をしていく中で見えたことが
人間そのものが「こうなれば、こうなってしまう」や
「こうしてしまうとこういうことになる」という「結果を見越した」行動を
「感覚的」かつ「緻密」にはできにくい。

 一度、「紙に書く」という「肉体を通して意識付けをする」作業をして、
「欲望から来る行動」を「突き放してみる」ことをしなければ
「欲望という落とし穴」の存在に気が付かない。
・・・というか、私たちは「こうなったらいいな」という「願望」で
自らが落っこちる「落とし穴」を自身の手で気が付かないうちに掘っている。

 「楽しい」とか「面白い」の裏では「良くない結果」につながっている。
こういうことをコメディで表現して「同性愛」の叶わぬ恋をスパイスに加え、
「生きて還りし物語」でお化粧を施すと、「人は遅かれ早かれみんな死ぬのだ」、
産まれて、生きて、死ぬまでに得たものは全部「偶然を装った必然」だった。
この「偶然を装った必然」をさり気なく見せる事が「真の進行役」の役目。
だとしたら、全てが納得行くねん。

 こういうふうに、「欲」にまつわる人間の営み全般というか
「弱み」をぎっちり見せてしまうと、まじですげぇとしか言えなくなる。

 そして、ラスト前、「様々な悪感情」をこれでもかと見せつけられた末の、
最後に発する「始めましょうか」というセリフに「再生する、再起する希望」が
込められていることを東京で知ってしまった。

演劇集団よろずや「バイバイ」

いつもの挨拶がやけに愛しく、そして哀しい。

 わたしにとって、「プロ野球」と言うものは近くて、遠い。
わたしの「人生」に「プロ野球」が入ってくる時はあるが、
「同志」と呼べるくらい1シーズン、ガッツリ野球場で応援したことがあまりない。
選手は遠くから見るものであって、サインなんて欲しくはない。
むしろ時間が経てばごみになる。

 いろいろあって、客席を見渡してみると、カープの赤ユニやら何やらがチラホラと見える。
ホークスはなんか、「みんなでたたかっている」という雰囲気が薄い、
薄いから少しでも調子が悪くなると、ありとあらゆるところから
「不平不満」が飛んで来る、そして全てがギクシャクする。

 わたしも含めて、それぞれの人生が存在して、その中に「野球」がくっついてきて、
わたしの人生が調子良い時は励まされつつ「油断するなよ」と釘を刺され、
逆に調子悪い時は「慰め」という励ましと、辛抱すればなんとかなる、という
教えをもらう、「調子の波」と言うものは個人差はあるけれど、ある一定のリズムを
持って浮いたり、沈んだりしている。

 ある時はわたし自身の調子とチームがいい調子で重なったり、
わたし自身は調子悪いが、チームはその逆ということもあるが、
基本、良いことばかりじゃない、悪い事ばかりじゃない。

 広島東洋カープとそのファンはこの事を日本で一番体現しているかもしれない。

 それはさておき、津田恒美というプロ野球選手の「人生」は常日頃、私の心の中に
とどめている、というかとどめ「続けている」出来事である。

・・・気が付けば、自分は彼より11年も長く生きている。

 カープでがんがん投げていたときは、正直、憎たらしかった。
というか、昔のカープの野球はあまりにも隙がなかったわけで、
その隙がない試合の、これまた「しまい」に出てきて完璧に抑える。

 他球団のファンにとっては憎たらしいことこの上ない、まじで殺したいとすら思ってた。
フルフォーム(めちゃくちゃ調子のいい状態)のとき、本当にストッパーしくじったのは
原辰徳を骨折に追い込んだ前のシーズン、優勝争いの大一番、
後楽園で駒田徳広に満塁一発喰らったことと、
日本シリーズ第5戦、所沢で当時ライオンズの工藤公康に
サヨナラヒット喰らった「だけ」か。

 その時の様子からこの物語は丁寧に書き起こしている。
こんなに気迫溢れる仕事をする人間が実は小心者、というか
ものすごい優しさに溢れた「人間」だった。
もしくは、ものすごい優しさに溢れた「人間」だったから、
気迫溢れる仕事をやり遂げることができたんだよ、と指し示す。

 結婚して、やっと夜でも明るいおうちに帰ることが出来て、
子供も出来て、さあこれから、という時に彼は病に倒れてしまったとき、
正直、わたしはびっくりした、というか狼狽した。
・・・だって、さんざん死んでくれ、と思っていてそれが現実になると、
「喜び」よりも先に「やっちまった」という恐怖が襲って来る。
そして、「わたしの持つ悪魔性」に気づかされる。

 はじめは「水頭症」とか言っていて、野球は無理でも
まあ生きて帰っては来るだろう、とは思っていた。
しかし、1年経っても、2年経ってもいい知らせは来ない。
そうなると、いままで持っていた憎らしさはいつの間にか消えて、
「お願いだから、生きて帰ってきて」という思いになってきた。

 しかし、それはかなわぬことだった、ということを
当時、NHKであったドキュメント番組を見ることと、それを文字化した本を
読む機会に恵まれたことで、表には見えない壮絶な現実を知ることとなった。 

 ほんとうは奥さんが書いた「最後のストライク」という本も
読んだほうがいいかもしれないが、主治医(演劇とおんなじように
実際も女の主治医だったのだろうか?)との「西洋医学対マクロビオティック」の
平行線をたどる言葉があまりよろしくない言い争いが巻末にあって少ししんどい。

 当初の新聞記事にあった病因の「水頭症」というのは
実は、ファンを「安心させる」ためのエクスキューズで、
実際は本当に手の施しようのない「脳腫瘍」だったこと。

 それでも何とかしようと奥さんが「マクロビオティック」中心のやり方で
懸命に看病したこと。(だから、彼の「終の棲家」は広島ではなく福岡なのだ)
一時症状が瓦解したときの現役復帰に向けた執念。

 加えて「プロ野球」という毎年新陳代謝の激しい世界で必死に食らいついて
代謝・淘汰をくぐり抜けるけれど、何時かは力及ばす、代謝・淘汰の対象になってしまう。
それでも、懸命に食らいついて、戦ったんだから、悔いはないよと、次の人生に
胸を張って進むことをこうして当事者の感情入りで演劇すると、より一層心に入っちまう。

 
 自分はあれからことあるごとに彼の闘病生活とプロ競技選手の競技人生を想い、
「自分は、果たしてどれだけのことができているのか?」
「自分は、自分がやろうとしていることに妥協を許していないか?」
「自分は、安易に享楽や快楽に走ってはいないだろうか?」
ということを自問自答している。

 あれから13年経った訳だが、当時現役プロ野球選手だった
当事者の殆どがいろんな人生を生きている。

 森脇浩司は新聞に載らない「ある小さな事件」がもとでホークスをやめさせられ、
オリックスバファローズに落ち着いたものの、プロ野球とは縁が切れ、
アマチュア選手の面倒を見ている。

 達川光男は王貞治に請われてホークスに来るが、
我の強さで喧嘩別れして、カープの監督をしたあとに
たまたま松山でのオープン戦の帰り、広島行きのスーパージェット、
あの頃は1000円の追加料金だったな、そこで同席して、
こ難しい顔をして週刊文春読んでたな、これまたなんだかんだあって
落合博満に請われて中日ドラゴンズに行くが、諸事情で出て
来年から縁あってホークスに戻る、今度は喧嘩別れするなよ。

 きたぽっ・・・じゃなかった、北別府学はカープとホームテレビを
振り子のように行ったり来たり、いい年になった今は野球解説の傍ら
夕方ニュースの「情報部門」で美味しいもの食べたり、温泉行ったり、
局所属のタレントさんとまったくおんなじ仕事をしている。

 清川栄治は近鉄バファローズの打撃投手をしている、という話は
聞いたが、球団が消滅し、それでも何処かの球団の打撃練習でコツコツ球を投げているだろう。

 今井譲二は熊本で地に足をつけて、仕事と野球を踏ん張っている(と信じたい)。

 正田耕三は・・・なんでカープと喧嘩別れしたんだよ!!
阪神タイガースでコーチしたけれど、結局消息不明になっちまったじゃねーか。
ほんとうは(以下略。

 山本浩二はWBCで誰も拾いたくない「火中の栗」を何の因果か、
みずから拾いに行った。

 安仁屋宗八(ルーキーズに出てくる安仁屋の名前はこの選手から取ったんだよ!)は
相も変わらずマイペース、RCCで好きな様に喋り、好きな様に振る舞っている。

 長内孝は「野球鳥」という焼き鳥屋だったね。
何処かでスカウトか、なんかやってコーチしてたかと思った(ポリポリ)。

 山崎隆造は結構長い間カープとともにいたんだね。
まあ、広島市内の女子大生を相手にしたマンション経営も順調だし、
カープで球団編成の仕事したり、テレビ・ラジオで解説しなくても・・・。

 金石昭人は言わずもがな、一番この中で成功しているんじゃね?

 あと、一番若い緒方孝市、なんだかんだあっていまやカープの監督だ。
天国の津田恒美も腰抜かしながら、泣いて喜んだだろうよ。

 そして、志半ばで亡くなった上本孝一という審判員とお話にはでてこないが
木村拓也の事も忘れてはいけない。
ホークスの藤井投手の物語もこうして「演劇」にすることができたら
果たして沢山の人に見てもらえるだろうか?

・・・今年も生きて年の暮を迎えられた。

さて、はじめるか。

 まあ、なんだかんだあった。
引越ししたかったが、取る物も取り敢えず、
あそこに在った痕跡を消去した。

 次の受け入れ場所、というやつを何とか作り、
今後はここから色々と出していこう。
プロフィール

itumo25254you

Author:itumo25254you
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