謎のモダン館「BLACK・GATE」

ノイズの中から「人生」を探す。

 これもまた人生の修行なり・・・か。

 今月は有給の残機がなぁ。
というわけで今回の謎モダと再来週金曜のヒトステは
午前中でハンバーグ工場の仕事を切り上げ、長崎へ向かう。

 え?フーズの長崎公演も行けたのでは、とおっしゃるが
まあ、土曜の回が夜しかなく、チトセピアホールから
ダイエーが閉まったあとに外にでることが迷路のように難しく、
難しさゆえの「タイムロス」で最終の博多行き特急に乗り遅れる
リスクを考えたら広島公演、新幹線広島駅至近の立地には
とてもとてもかないませんわ。

 にしてもなぁ、前の日が北九州本城で
久しぶりのうぃあーえひめ。
本城のメイン個席部分はある意味「社交場」になりつつあるし、
おまけに濃ゆい場所だな、うん。
で、帰り着いたのが22時過ぎ、珍しく焼き肉とご飯中心に食べて
家についたのが23時過ぎ、胃腸を落ち着かせて寝たのが1時過ぎ。

 そうしてもいつもの様に朝5時に起きて、下のソファでまた寝てる。
いつもの様に仕事へ行き、切り上げて大雨の中、電車に乗って博多駅。
特急の便を改めて確認すると12時55分発ではなく、13時55分発。
博多阪急の地下で何かしら買って食べてから乗ることにしよう。

 食べて、13時55分発の特急に乗るとそれはまあ嫌な空気。
ついでに恐ろしく眠いし、目をつぶっていたらもう長崎。
長崎は恐ろしく雨が降っていた。
その中をメルカつきまちまで行き、時間が余ったので
浜の町のスターバックスでしこしこレポートを書く。

 さて、今回はえ+のスマートチケットを初めて使う。
まあ、決済とか、すごく楽なんだけれど、いろいろな意味で
改良、改善の余地が在るかなぁ。
ホールがタブレットでの決済装置を持てばいいのか、
いくつかの劇団の制作で「決済組合」を作って
装置を共有すればいいのか、色々考察し、いろいろな変化を
そこかしこに感じているともう本編。

 というか、開演ギリギリで子供つれてきた客が
ある程度埋まっている客席の空きを探し、
入口に近いあのポジションを開けてもらう一連の流れが
なぜか、ひとつの「演劇作品」となっていた。

 ある地下室に何か、人が集まっている。
「黒い手帖」というものをもって。
人間としての「駆け引き」がありつつ、
小説家と女の人との会話という物語が
同時進行で進んでいく。

 「十三夜」、10分間しか聞こえないラジオ、
ノイズの中に聞こえてくるかすかな声を、言葉を探す。
・・・もしかしたら「あの世」と「この世」は「片方向通信」なのか。
「あの世同士」、「この世同士」は当然のことながら
「双方向通信」なんだけれど。

 そのことを確かめるため、ひとつ実験をしてみよう。
まず、仕掛けとしてネットの中で「ある掲示板」を作って
不特定多数の人をおびき寄せて、その中からある特性を
選んで、「黒い手帖」を「偶然を装い」渡して実験を始める。

 最初は「お金」という餌を使っておびき寄せようとした。
けれども、「どこか正しくて、どこか間違っている」言葉の拾い、
と言うものからそれぞれがそれぞれの「喪った痛み」を
「語る」ように持っていかれる、ある意味、面白い、そしてしんどい。

 あれっ、こんなこと、ツイッターやフェイスブックで起こっている
こととなんだかおんなじではないだろうか、そんなことをじわじわと。
板の上では「のいず」という「意味のない音」から「音声」としての
「言葉」を拾う、わたしたちはパソコンで「タイムライン」という
「言葉の流れ」から「文字・文章」としての言葉を拾う。

 さらには「意味のない音」や「言葉の流れ」に紛れて
私達自身も「喪った痛み」や「喪った怒り」など
無意識に「へんてこりんな感情」を流している、かも知れない。

 人間として「生きる」ということは「最大の修行」なのだろう。
わたしたちはどのように生まれて、生きて、何を手に入れ、
何を失い、その結果、どのような立ち位置にいて、役割を果たした
結果、どんな「因果」を次に背負うのか、「審査」されているのか。

 だからこそオカルティズムというか全ての「芸術」と
インターネットを始めとした各種テクノロジーは
使い方次第で「魂の救済行為」にもなるし、
逆に「魂を抹殺する行為」にもなる。

 「なぜできない」と「責める」よりも
「できることでやれる役割、立ち位置」を「探す」ように
仕向けるように対し方、接し方を考える。

 そういうことを考えずにただ「我が身の至らなさ」を
不特定多数の人に「ノイズ」や「タイムライン」という
ものに紛らせて、喚いて、不満をぶつけるのは・・・ね。

 あなたはどのように現実や、テクノロジーに向き合っているのか
強く問われているんだよ、喚けば喚くほど次に踏み出せない。

 喚くより、吐き出そうよ、みんなに届くような「言葉」を使って。
嫌なところも無理やり見ることになるけれど、
見ることで「わたしは何に痛めつけられたか」ということもわかるし、
より良くするきっかけも生まれるだろうし。

F'scompany 「いきばなし」

「選ばれる」とはなんぞや?

 ものすごくバタバタで仕事を片付け、電車に乗る。
最近、なんていうか、こんな日程が多すぎる。
もう少し余裕を持って日程の組み方できないものか、と思うが
「午前中で仕事を上がらせてください」をいう
タイミングが掴めない、とも。

 そういえば、サキトサンズ以来の長崎行きだ。
本当は「素敵じゃないか」長崎公演も行くようにはしていたのだが、
心と体の調子も芳しくなく、懐具合もさらによろしくない。
というわけでギリギリのタイミングで行けません、と連絡を入れた。

 「社会人として演劇を続けろ」ですか。
自分が感じていたことと真逆のことをその後に「素敵じゃないか」の
担当制作さんから投げかけられると正直、戸惑った。
「見に行くことができない人」の助け、もしくは目になるのも
多少はあり、なのかなぁ、「皆のため」と「わたしのため」が
マーブル模様になっている。

 まあ、仕事もきちんと「務め」を果たし、演劇もきちんと「務め」を果たす。
心がチクチクすることもあるけれど、それでいいのじゃないのかなぁ。

 表演空間がこないだ見たガレキの太鼓のぞき見公演「風俗店版」を
彷彿とさせる、というか風俗店というものがシステム化すると、
こうなるのかという出来に不思議な感覚の客入れ音が鳴っている。

 うーん、「結界」というものができていい空間だ。
・・・なんか、ある病院の医局なのだろうか、患者を番号で呼ぶのもそうだし。
面接、というからある薬か治療法の「治験」についてなのかな。
それにしても、この「治験」、恐ろしく人気があるんだな。

 というか、「細胞再生技術」を応用した世界最新鋭の
「整形手術」に関する治験だったのか。
まだ「治験」だから不都合を整えるために時間が掛かる、
故に出来る人数は少ない、けれども藁にもすがる思いを持つ人が
多いので競争率100倍、大変だな。

 競争率が多い、ということは「面白半分」で
受ける奴も多少なりともいる。
しかも、無料どころか、結構な額の「謝礼」まで
もらえるのならば尚更。

 というわけで、「ほんとうに必要としている」人と
「何らかの理由で必要としていない」人を
選別する必要があるわけか。

 かくして「わたしはこの治療を必要とする」から選んで、という
周囲を巻き込んだ「心理ゲーム」が始まる。

 この「心理ゲーム」で使われることばの切れ味がすげぇ。
「ブラフの掛け合い」という奴をこの場で初めて見てしまった。

 「掛け合い」というものを通してそれぞれに存在する
「考え方」の違いや「人生」の違いがじわじわと見えてきて、
言葉遊びの要素が隠し味、いろいろな「影」や「汚れ」を受けて受けて、
最後の「実は私が」というドンデン返しが半端ない。

 道化は辛いよな。
けれども、外見を「変化」させてしんどい過去や
なにやらを「消去」するために「整形手術」はあるのだろうが、
「心持ち」を「変化させる」ことができなければどうにもならない。

柿喰う客 「ながぐつをはいたねこ」

「見た目がいちばん」という「ハッタリ」。

 それにしても、見ず知らずの他人の子供を預かることが
こんなにしんどいとはなぁ。
いや、まあ、11時開始だから遅れないように前日仕事終わりから
佐世保に入り、うだうだしてから久しぶりのアルカス佐世保。
ご挨拶してチケットを取りに行って、並んでいるとちょうどその日が
NHK交響楽団佐世保公演の先行予約日。
このチケットを買いに来がてら孫連れて見に来たのだろう。

 がだ、列がなかなか消化できず、そういう事情から預けて、
気をもみながら中にはいり、席を探して待つ。

 そんなこんなしていると用事を終えて戻ってきてまあ、何より。

 表演空間ではメイドの格好をした女の子が猫のようなムーブ・マイムを
やって、場をセクシーに「温めて」いる。

 こういう様を見ていると「猫」という動物が「セクシー」という文脈で
愛している人がいるのだな、ということを改めて感じてしまう。

 本編45分になんだかんだが加わって実質一時間と少し。
その中で「世界の名作」と「最新鋭の演劇」の融合を見る、という趣。

 気が付くといつの間にか「異次元」というものに引っ張り込まれた。

 というか、このお話、ざっくり言うと「人は見た目が9割」ということと
「拾ってもらった恩義を過激なやり方で返した」ということなのです。
その過程で起こった「まやかし」や「マジック」というものを猫が逆手に取って
「所有」とは一体全体何なんだろう、「イメージ戦略」とはどうすべきか、
ということまで見手に問いかけてくる。

 うーん、「ながぐつ」ひとつで「レジスタンス」が成立するとは
ホンマに「名マネージャー」だな、そして名マネージャーは
「太鼓持ち」の芸もある意味必要なのか、よいしょっと持ち上げて、
はしごまできちんと外しておかないと「奪う」ことができないのか、と
「文化」の違いを見せつけられるとなんとも言えない。

 こうして土地も、何もかも「奪った」あなたは
これから「あたらしい試練」が始まるのに、
どうしてながぐつを置いて行ってしまうの。

 猫にとって恩義を十二分に返した、それだけでよかったのかもしれない。

 「いま」と「むかし」が絶妙に混ざっていて、
この混ざり具合が人間の滑稽さやら何やらをうまく表現している。
あと、子供たちとのコールアンドレスポンスがすげぇ。

 こういう「ぶっ飛んだエンターテイメント」を見て育った
佐世保の子どもたちが「演劇」というものをやると
どんなものを作ってしまうのか、正直恐ろしい。

謎のモダン館 「蠍城の麗人」

「あい」と「いとしい」。



 このカンパニー、初期から色々見せてもらっている。
白濱さんはそうではない、とは言っているが、「夢の遊眠社」やら
野田秀樹の「言葉遊び」を巧みに生かして、表演空間
そのものにもこだわりを見せた演劇を見せていたが、
今回は「素」に近い表演空間で、演者それぞれの技量を
十分に見て貰いたい、という腹づもりのようだ。

 その心意気が開演前の「黒滔々たる闇」としてきっちり見せている。

 白濱さんが一人芝居フェスティバル「INDEPENDENT:FUK」の予選に参加して、
不思議少年の大迫さんに次位で本選に参加し、相内さんにとっては
「最大の発見」だったらしく、11月のINDEPENDENTに「呼ばれて」大阪進出、
そこで関西の隠れた人材と「意気投合」してPERFECT-Styleという
大変面白い試みを自ら企画して、というここ一年で学んできたことや繋がりが
血となり肉となってこのカンパニーに「落とし込めて」行くことができたな、
と感じながら物語に入る。

  …なんていうか、すげぇ。
板の上にいる各演者が自分の持てるギリギリの力量でムーブマイムをして、
なおかつきちんと「からだ」でしゃべれている。

 ある「商店街」の「寄り合い」の場面をそうして作り、
一度モブ、という形で崩して、なめらかに「探偵事務所」の面接の場面に移行して
またモブで崩す、この「締まって、緩む」感じを上手く作っていくことで
見手を知らない間に現実から「不思議な世界」へと巻き込んでいく。

 世の中のえぐさと愛がこれでもか、と混められている
「嘘と真実で作られた」カオスという渦の中にわたしは生きているのだ、と
思い知らされてしまう世界を「ヤンキー」というある意味、「緩め」の「異次元」を
「現実」と「カオス」の両方の間に「緩衝材」として効かせて
更には世の中には「普通の人」と「魔法」という「高次元の伝達手段」を使って
「違う世界」にアクセスできる存在に分けられていて、知らない間に
お互い、せめぎ合っている、というところまで表現できている。
・・・これを中世ヨーロッパでは「魔女裁判」というのだが。

 「真っ直ぐな想い」は世の中には必要なのかもしれない。
必要だからこそ、そうした想いを持っている人が力を持って欲しいと望むもの。
けれども、実際、そうなってしまうといつの間にか「本来の想い」から
じわじわと「離れる」ようになり、そうなることで「本質」というものが歪み始め、
この歪みがいつの間にか「世界」を破壊してしまう。
・・・そんなことは厭だ、とは薄々わかってはいるけれど。

 「真っ直ぐ」だからこそ、「異質」なものと分かり合えることが難しい、とも言う。
けれど、力を持つ過程で自らを曲げて異質なものに理解を示せば示すほど
(もしかしたら、これが「捏造」というものの始まりなのだろう)
本質から遠ざかり、歪んでしまう、ということもそれなりにはわかっている。

 ・・・だったら、「本質」というものは一体全体、どこにあるのだい?
逆に「異質」なものはどこにあるのだろう?
もしかしたら、そうやって、「人生」という「領域」に境界線を引く、という動き自体が
「愚かなこと」なのかもしれない。

 更には、「人生」という「領域」には「あい」と「いとしい」しか存在していなくて
私自身、もしくは私の周囲にいる存在にこれらを与えている。
この「働き」を手放してしまったり、手放さざるをえない状況を
「死」というのかもしれない。
「手放す≒死」という状況を通じて、私たちは何かに気が付き、
そうなるように仕向けられるのだろう。

 そして失った「あい」と「いとしい」の残骸や残り香を
「からくり」を使い、感じていく。
・・・なんか、切なくて、油断も隙もない。

 チトセピアホール、遠すぎ、そして夜は迷路。
ダイエーが演目終わる前に閉店するから、外への出口がわからない。
けれども、最終の博多行き特急の時間は迫る。
慌てて出て、路面電車で浦上の駅に向かい、なんとか間に合ったから良かったものの。

テーマ : 演劇
ジャンル : 学問・文化・芸術

謎のモダン館 「あめのふるまち」

             わたしたちはいったいなにを「祈る」?

アクセル踏みっぱなしで得体の知れない独占欲の爆発、
これを時間や時代を超えて、しまいには虚実まで突き抜けた。
怖くて不思議な「そうび」を身に着けた。
「一皮むける」とは、このことなのだろうか?
白濱さんの「ますらをぶり」で夢の遊眠社・野田秀樹の
「ことばあそび」を今までやってきた。
今回はふみさんの「たおやめぶり」という新たな「そうび」を
使って「ことばあそび」を仕掛けてきた趣。

 というか、この場所にたどり着くまで、妙なとげとげしさを
振りまき、そして、感じてしまってところで、ヒーリング系の
客入れ音にかなり安堵する。
この安堵感を抱えて、さらに生死の感覚をほどよく出して物語が始まる。

 よくやらかしてしまいがちな「雨」と「飴」という同音異義語から
「心の渇き」と「喉の渇き」をどう癒していくか、という広がりが根っこにあって、
たまたま訪れたとある村に対する違和感、というものがあって、
この違和感を解消するために「演劇」という道具を使い、
その道具が知らない間に見せる不思議な世界の広がり。

 その場所にはかつて目が見えないが、
よい言葉を「紡ぐ」ことができる男がいた。
この紡いだ言葉を文字に起こすために雇った女の子が
それはそれは美しく、この美しさに嫉妬した男の妻が女の子を殺し、
井戸、じゃなかった、穴の中に捨ててしまった、という
ある意味、「白雪姫」に「珍妃暗殺」を程よく混ぜたお話を
宮城道雄のことやら太陰暦から太陽暦に移り変わる
なんだかんだをスパイスに加えて、「演劇」というやり方で
謎を解き明かしてしまった。

 結局、「奪われる」ことが怖かったが故に道を踏み外した。
道を踏み外してしまうと、どうも先が見えなくなるし、
喉も、心もいつの間にか渇いて、どうしようもなくなる。
「迷い」というものがそうさせているのだが。
これらの「迷い」という「乾き」と「霧」を解決するため、
「成仏しないといけない」という「祈り」がそこにはあって、
というか演劇という「行為」はもしかしたら「祈り」そのものなのだろう。
だから、時間は回りまわってあの旅の一座になったのかもしれない。

 不思議な感覚を抱える、とはこういうことか。
プロフィール

itumo25254you

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