鹿児島演劇見本市2014(3)

「新しい感覚」とはこのことか。

 今年は「ここは福岡の劇団だったらここだよな」とか
「熊本だったらここだよな」という特性のフィルターを掛けることなく
目の前にある出来事を素直に見ている。

【劇団AIS】

 ・・・魔法少女まどか☆マギカですか。
そういう趣味のないおにーさんには少しわかりにくいなぁ。

 けれども、「神様の世界」にある学校は「キューピッド部」てか、
「恋愛部」という非常にお得のある部活動があるのですね。
この部活動の対極にある「経済研究部」という三田某の
「インベスター・なんとか」という秀才がFXなどの「金融賭博」に
手足どころか、体中突っ込んで、どうなる、というものと
AKBというものから派生した「ゲス部」が三つ巴で絡まっている。

 その様、見ていると非常に気持ち悪い。
この「気持ち悪さ」をぶっ壊す要素として
木多康昭の「喧嘩商売」とか「喧嘩稼業」という下手すると
「現代版池波正太郎」になりそうな漫画に出てくる佐藤十兵衛のような
存在が登場し、「煉獄」やら「金剛」、「高山」は使わないが、
「無極」はほんの少しだけ使ってあっさりと「気持ち悪い」を壊している。

 たまたま一緒だった、ずっと接点があった。
「近すぎる」が故にそれぞれがそれぞれの「良さ」が
見えにくくなっている。
見えにくくなっているから、見つけて、伝える努力ができにくい。
その努力をする「お手伝い」が「キューピッド部」の内容。

 ・・・だから、「好き」がずっと前から伝わっていた、という
オチがきちんとしている。

 けれども、みんな、このハコの広さと奥行きに慣れていない。
特に奥行きに慣れていないがゆえの音と言葉の「被り」が
あまりにもひどすぎて、何を言っているのか、正直、わからなかった。
隅っこにことばを届く事に気を配ればより良くなる。

鹿児島演劇見本市2014(2)

「ダブルスタンダード」の中でわたしたちは生きている。

 「負けるな」、「嘘をつくな」、「弱い者いじめをするな」。
わたしたちはそういう価値観の中で生きている、と思っていた。
けれども現実は「負けるが勝ち」、「偽善・嘘は最大の利益」
(=「嘘も方便」ともいう)、「弱い者いじめは最善策」という
世界が幅を利かせる中で毎日を生きている。

 ・・・なんかさぁ、こういうことにまともに向きあえば、
気が狂ってしまいそうだ、さらに深入りして「知って」しまえば
「社会的」にも「生命的」にも「殺されて」しまう。
けれども、わたしは演劇を通してうっかり感じてしまった。
感じて、知ったことを武器にして生き延びなければいけない。

 こういう堅い話はさておいて、次行くよ。

【劇団コスモス】

 何回か前の「見本市」でチャンスを掴んで、
INDEPENDENT:FUKからINDEPENDENTにまで行った
山田美智子さんのところですね。
鹿児島と大阪でなんだかんだやっているみたいやけれど、
お元気で演劇を続けているでしょうか?

 さて、今回は「一人芝居」ではなくガチの演劇。
基本的な骨組みは「お手伝いさん(お針子さん)、撲殺」。
この骨組みに「恋愛」や「不倫」という「人の道」に大きく外れた
「獣の道」を「レクリエーション」にできるから、
本当に金持ちという人種はえげつないなぁ。

 ・・・てか、金持っていると「レクリエーション」の幅が広がる、とは
本当のお話だったのですね。

 というわけで、「獣の道」に生きているから「夫婦関係」はないも同然。
とっとと別れりゃいいけれど夫婦関係を続けなければ
「獣の道」では信用、というものがなくなってしまう。
・・・死んで、いや殺してしまえば全てリセット。

 お針子さん、じゃなかったお手伝いさんは「身寄り」がない、
「行く宛がない」が故の貧しさで知らないうちに獣の道に
足をうっかり踏み入れる、その姿は何故か哀しくて。

 お互いがお互いを「リセット」する、という共通の目的があるから
「共犯関係」というものが成立し、関係による「食い違い」や
「行き違い」、さらには「勘違い」が「名探偵の居ない推理ドラマ」で
表現しているから、最後のオチ、「苗字を読まなかった」からの
「双子の片割れ」の復讐劇がなんとも言えないや。

 こういうお話は世界中、どこにも転がっているよな。

鹿児島演劇見本市2014(1)

「響かせる」ということ。

 わたしも、福岡舞台計画というところで
昔、福岡で開催された国民文化祭に参加した。
演劇部門、というよりかエイブル・アートの部門で。

 そんなことをドアが開く前、とある人と話をした。
その時は思い出さなかったけれど、見ている中で
思い出したことがある。

 広いハコでどう声、というものを響かせるか?
最上段、センターに向けて声を出しても届かない。
どこにどう声を届けていくか、ということをあの時教えて貰った。
・・・最上段は最上段なのだが、ハコの一番隅っこ。
隅っこにピンポイントで声を届けていけば、じわじわと周りに届く。
これが演劇を通して学んだ何番目かの出来事。

【演劇ユニット GREEN CARD a.k.a】

 ・・・なるほど、「冤罪」とはこうして「作られる」のか。
そんなことを感じさせる冒頭部。
特に「痴漢」とは「なにか大きなもの」にとって「邪魔な存在」を
「社会的に消す」ためには一番都合のいいやり方やね。

 はめられた人間が「それでもボクはやっていない」と
無実を「勝ち取る」までをspecの戸田恵梨香、
「踊る大捜査線」の織田裕二、「古畑任三郎」の田村正和、
「相棒」の水谷豊、「ガリレオ」の福山雅治、名探偵コナン、
「アンフェア」の篠原涼子と現代刑事ドラマのオールスター
勢揃いで、とは言え「トリック」の阿部寛・仲間由紀恵とか
「ケイゾク」の中谷美紀は押さえていなかったけれど。

 まあ、こういう話を鹿児島、という土地で見聞きすれば、
純粋な「サツマビト」が「徳川」によって社会的に分断されている
という現実、というか事実と重なって「えげつない」を飛び越えて
「えげつなくて、えげつなくて、震える」のです。

 けれども、「ほんとうのところはどこにある」ということを
ぐだぐだやられると、あまりにも中身がえげつないので
少し、というかかなりしんどい。

 このしんどさを引っ張って「あるあるショートコント」をやられると
もっと、というかかなりしんどいの二乗。

 「わたしたちはこういうことをやっています」というショーケースと
見ればまあ分かるのだが、全体的な精度と密度がよろしくない。
だからこそ、年2回、できれば年1回、自分で公演打って、
お金を払って見るお客さんを増やすことをしなければより良くならない。

鹿児島演劇見本市2014(序)

次なる戦いへ、踏み込め。

 Hit!Stageを見たあと、薬屋に行き、カミソリを買い、
何を食べようか、何を飲もうかウロウロしていると
もう駅前だ、おとなしくそこで飲んで、食べて
宿に戻ってゆっくり休むと、もう朝だ。

 ご飯を食べて宿を出て、駅の中にあるファミリーマートで
久しぶりにスポーツ新聞とカフェフラッペを買い、
あたらしいポイントカードのポイントがどうのこうのいうてる
というか騒いでいるバカを横目で見て、ホームに上る。

 まずは特急みどりで新鳥栖までまったりと移動する。
まったりと移動しながらあたらしい装備たるタブレットの
使い方、というか、音楽検索を使いながらゆっくりしている。

 がだ、車内が何故かものすごくウザい。
ああ、「世間」というものは「連休」というおやすみなのか。
このウザさにがっくりしていると新鳥栖駅に着き、
絶妙のタイミングで新幹線がやってきて、乗り換える。

 それにしても新鳥栖すぎると移動通信体の電波が
なかなかうまく入らない。
入らないから目をつぶってグダグダしているともう鹿児島中央駅。
去年までは市営バスに乗って鴨池なのだが、今年、来年と
「国民文化祭」のプレ事業という「前景気付け」で少し離れた
谷山、というところへ向かう。

 JR指宿枕崎線で行ったほうが色々と都合がいいのだが、
新幹線に対応する乗り換えの便が「指宿のたまて箱」、
そこまで指定券、用意出来ていないよ、そのあとは30分後。
だとしたら、路面電車でまったりと移動する。

 谷山の街、というところは50年位までは「谷山市」と言って
鹿児島市と違う行政区分だったらしい。
電停からホールまで「谷山街道」を歩いては見るが、
マンホールや、水道の弁ふたなどに「谷山市」が
存在した跡が全くない。

 「北九州市」に組み込まれた「小倉市」の跡だって
探せばきちんと見つかったのに、なにか訳があるのだろう。

 そんなことをつらつらと考えながらサザンホール。

 さて、今年の見本市は非常口も、鳴かず飛ばずも、上町クローズも、
テアトル火山団も、いぶきも、さらにはLOKEも参加していない。

 なんていうか、これからの鹿児島演劇を「作っていく」
可能性のある面子を揃えてきた。

 いつもは100人程度のハコでやっている若手に
800人、うしろ半分を削って400人の広いハコでやらせてみて
地の力をつけてみよう、という試み。

 やろうとしていることも、熊本の「dengeki」や
北九州芸術劇場の「劇トツ!!」を視野に入れている。
さらにはその先の「劇王戦」や「カラフル」までの道のりまで
レギュレーション、というもの込みで意識させる
仕掛けどころがたくさんある。

 見手にとっても、鴨池4階の市民ホールの平土間と違い
きちんと客席に段差があるので恐ろしくストレスを感じない。
国文祭が終わってもこのサザンホールでずっと見本市をやってほしい。
それが無理なら照国の中央公民館でもいいから。

さて、次から各参加団体についてお話をしようか。

演劇ユニットmoke 「葉桜/屋上庭園」

岸田國士という「珠玉」の連なり。

 そういえば、演出者協会の総会にご挨拶がてら顔を出そう、ということがあって、
その前の週にある鹿児島演劇見本市に行くことができなくなった。
非常口「四畳半の翅音」で伊佐に行って、帰りは鹿児島市内経由で
福岡に向かって以来の鹿児島です。

 これまた久しぶりにドーミーインに入って、パソコン立ち上げて
お風呂やご飯の前に「天誅」の最終回をだらだらと見て、初動が遅くなって
鹿児島屋台村をいくらかハシゴする。
・・・いや、まあ、芋焼酎本物は旨いわ。
そしてツマミも旨い、気がつけば焼酎グラスが手元に。

 翌朝、ものすごく心配したが、変に残ることなく
朝ごはんを食べ、外に出て、まずはハコ探し。
お金おろして見つけて、吹上庵でそば食べて、天文館をウロウロする。

 さて、時間になったのでハコへそろそろと参ろうか。
なかなか風情のある場所にぽつんとくまのぬいぐるみが。
そして客入れ音にかぶさるように本水の音がうすーく、うすーく流れているようだ。
空間を総合して見ると、あらゆる意味で、「お洒落な」作りになっている。
「お洒落な」作りだから大正、昭和初期あたりの空気感を持つ岸田戯曲を
現在、平成の世に「寸法を直した」趣。

 そういうことをつらつらと考えていたらもう本編だ。

【葉桜】

 実は、この公演のスカウティングが終わって、そのまま直に北芸「劇トツ20分」へ
向かうことにしていたら、大切な人が月に一度のデート日程を設定してきた。
・・・仕方ないから元々の前泊日程をキャンセルしてあれこれ思案していたら、
数日後、突然用事が、とか言われて、ぶっ飛んだ。
まあ、そっちのほうがええ塩梅で日程やら何やらが整った分良かった・・・のか?

 そんな空気と、庭先、あるいは縁側で母と娘の会話が。
ふむふむ、なんかお見合いがあって、乗り気なのか、どうなのか、両家足並み揃わず。
男は男で、女に対してなんだかツンデレかましている、というか
あまりにもシニカルがひどく出ていて、女はそれを不安に思っている。

 この「疑心暗鬼が止まらない」状態が重ねに重なって、
正直わたしを「なくしている」。

・・・どうして、わたしは、わたしをなくしているのだろうか?
物語はその「なぜ」を解き明かすように練り上げられていることが
じわじわとわかるように出来ている。

 まず、「好き」なのか「嫌い」なのかはっきりしていない。
・・・仕方ない、それが「お見合い」というものだから。
「信じあっていれば、大丈夫」とはいうが、
若いので何をどう信じればいいかわからない。
ついでに、「わたしには何もできない」、まで
くっついてしまっているから余計にややこしい。

 もしかしたら、「本当の気持ち」に触れることが、
少し怖いのかもしれない。
でも、触れなければ前にも、うしろにも進めない。
進むために、「むかしのわたし」と「いまのわたし」を対面させて、
「これからのわたし」を見つける、というか作っていくのだろう。

 てか、父親を突然なくしたことに始まる、
「身の回りのあらゆることが急に動き出した戸惑い」とはこういうことなのか。
何時の世も、物事が動くときは動くし、止まるときは止まる。
そういうことなのよ。

 さらに言えば、物語を追えば追うほど、「葉桜」という題名の意味が
「満開の桜」を「女の盛り」とすれば、「美しさ」という「花」が散り、
「地味」な葉っぱが茂った「その後」をどう生きようか、というふうに取れてしまう。

・・・ほんと、正念場、だな。

【屋上庭園】

 「死に活路を求める」、ですか。
あるデパートの屋上庭園に二組の夫婦がいる。
人生という波をうまく乗り切っている男と乗り切っていない男。
言葉の置き方や立って、居て、振る舞う様子が見事に違う。
ある意味、「自由」というものを手に入れるとお金に困るし、
お金に困らなくなると今度は「自由」がどこかで制限される。

 なんというか、そこはかとなく重たい、重たすぎる空気が。
その空気を背負って、生きていると傍目から見ればしんどく見えるよね。
しんどいから人の好意を素直に受け取れないし、下手なプライドだけが
増幅して、生きれば生きるほど辛く、苦しくなってしまう。
・・・その行き着く先が「死ぬこと」なのかもしれない。

 「死ぬこと」もできず、ましてやあらゆる意味で「やせ我慢」や
「妥協」もできず、そんなどうしょうもない男を心から支える。
・・・これが「糟糠の妻」というものなのか。

 とにかく、無条件の愛があるから「信じる」ことができる、
「無理だけはしないでね」と心からの言葉を掛け、
曲げないで、けれども、奮起して、と言われたら
まじでやばい、心に刺さってしまう。
これで人生立て直すことができなければ、
男じゃない、本当に死ぬしか道ないよな。

 いろいろ縁あって、岸田國士戯曲を見る機会ができた。
これら戯曲作品群を追って見れば見るほど、
「恋愛」ってなんなんだ、「結婚」ってなんなんだ、「夫婦」ってなんなんだ、という
共通した「テーマ」をもって、それぞれがひと繋がりになっている。

 だからこそ現代の空気とも親和性が高いのか、という発見。
プロフィール

itumo25254you

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