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在宅で働く、という選択。

  この一年、いろんなことがありすぎた。
黙々と働けるかもしれないところでも微妙に嫌な人がちょっかいをかけてきて(以下略。
結局、自分で自分を身動き取れないようにしていたことがわかって、
投げやりに生きていて、それはいけないとなんだかんだあって、外に出られず、
紙工作だけして時間が過ぎ、夏に入って在宅の仕事のための訓練を紹介してもらい、
最初は通いでパソコンに慣れつつ、じわじわと家に作業用のパソコンが入り、
連絡ややり取り、を戸惑いながらはじめ、やっといい感じになってきた。

 わかったことは人と人の間がどうも苦手だった、ということ。
ここを何とかしたくて演劇をやっていたけれど、わかってくれている人といるのは
大丈夫、けれども、わかってくれていない、というか自分の持っている
特性を嫌がっている人とやり取りしたり、一緒にいることは苦痛だった。

 苦痛だったから、過剰にコミュニケーションをとり…という繰り返し。

 今現在はそういうことがなくて、何よりだ。
あとは・・・流れに任せよう。

変化の始まり。

・・・父が使っていた少し、じゃなかった、かなり古めのパソコンを直そう、
直せるかも、と思ったのがすべての始まり。
メモリやCPUは前々世代なので恐ろしいほど安く買える。
(というか、現世代のパソコン、恐ろしく高い!ともいう。

けれども電源が死んでいたのでどうしようもなく、
メモリとCPUが無駄な・・・になるのが、ちょうどいいタイミングで
今まで自分が使ってたパソコンのHDDが寿命を迎えたらしく突然落ちる。

・・・突然ひらめいた。
HDD抜いて、父のパソコンをどうにかするために買った
SSDに入れ替えてまっさらな状態にしたのを家で使えるようにして
自分のはおいおい考えようとしたら古いほうのタブレットが電池の寿命。

どうしたものか、と思ったら、メルカリで何ともいえない出物を
見つけ、コンタクトとって、入手して、なんとか使えるように持ってきた。
・・・ここまで心が整ってきたんだな。

こわせ貯金箱 第2回公演「ラッキーフィッシュと浮かぶ夜」

運だ、ツキだ、と言っている時点で実は自分を喪っているのかも。

 久々の演劇だ。
紙工作のデータ集めに名を借りて、これまた久しぶりに広島、松山と
サッカーを見に行った以外、紙工作ばかりして世の中にウトウトとしていた。

 自分自身が世の中にウトウトとしていた時、ショーマンシップが
クラウドファウンディングだなんだと本拠地甘棠館の改修運動を始め、
結果、無事改修が終わり、という話は聞いていてもウトウトしすぎて行かなかった。

 初めて新しい甘棠館に行くと、驚いた!
より一層マルチアクセス感が強くなった!
軽量鉄骨のイントレ板を使って自由自在に、
しかも安全かつ頑丈な段組が組めるようになり、
更に安全かつ頑丈な釣り物バトンがいい塩梅で張り巡らされている。
・・・安全かつ頑丈な釣り物バトンのおかげで上の段ほど照明機材と
頭がぶつかるところはあるが。

 さて、この戯曲はノアールというモデル事務所に以前卸していたものを
今回はガラパの若いもんと新しい表現の場所を求めて飢えている
違う事務所というか、フリーのモデルさんやアイドル、あとなんだかんだを
掛け合わせた面子が演る、という趣向。

 自分が見るにこの戯曲は村上春樹の「羊をめぐる冒険」をベースにした
「運やツキ」を巡る考察が物語の核心。
この核心に「喪う」ことから生まれる悲しみを村上春樹はそのまま悲しみとして
表現していたが、川口大樹は悲しみを「コメディ」という糖衣にくるんで表現した。

 ノアールがやったときはあくまでも演劇というスタイルを崩さず、
見手の視点をなるべく崩さず、板の上で起こっている出来事を丁寧に張り合わせて
物語の核心を明らかにする手法に対して、今回のこわせ貯金箱は
板の上で起こっている出来事を同時多発させて見手の視点をこれでもか、
これでもか、とずらしつつ、同時多発させた出来事の切れ端同士を絶妙に
つなぎ合わせて、気がついたら物語の核心が見えていた、という手法で見せた。

 この手法を始まりと中頃にオリジナルの生歌が入り、
甘棠館ガラパスタイルの進化系というフリーアクセスの表演空間で
予測不可能な演者の出入り、と来たら、コンテンポラリー演劇なんだよな。

 コンテンポラリー演劇になっていたからなのか、
自分が紙工作ばかりしてウトウトした結果、見えてきたことなのか、
正直良くわからないけれど、生きていることを運だとか、ツキだとか、
実力だとか言っている時点で、わたしはわたしの人生を誰か知らない人や物に委ねて
委ねた結果、振り回されてわたしがわたしを喪っているのかもしれない。

 そして、喪った結果、わたしをわたし自身が異物と認識しちゃって、
というか、叩かれ、けなされ、否定され続けていたら異物と認識することで
自分で自分を否定していた、大事にできなくなった。
ということに改めて気が付かされる。

彗星マジック「ポストグラフ」

フィジカルを効かせた「生きて帰りし」物語。

 小さいグリッドを平面、立体ともに設定して、演者の生身の体と、こころの持つ
全力を出させるように仕向ける「ファンタジー」が売りだ、ということは
INDEPENDENTという「一人芝居」という形態でのショーケース公演でよくわかった。

 がだ、あくまでもショーケースはショーケース、きちんとした形できちんとした尺の
公演を見て、ストロングポイントと(できれば)ウィークポイントを見定めないと
この劇団の公演を「見た」という感覚と記憶ができてこない。
ショーケースだけだったら、「あ、本公演見てみたい」という感覚と記憶しかない。
・・・これが前説で「見たことある人手を挙げて」というくだりで手を挙げきらなかった主な理由。

 そんなこんなはさておいて、フランス革命から王政復古、ナポレオン戦争、
そしてフランス再革命により、フランスから王政は完全に排除された、という
「ラ・マルセイエーズ」を地で行く血腥いお話が基本線。

 この基本線に印象派の画家というキャラクターが持つ「不器用さ」、
さらには女性は個々人の能力や人格を認めてもらえず、
一山いくらでまとめられていた歴史の打開(これもまた別の意味で革命だ)を混ぜて
劇団の売りである座椅子の座面正方形面積分の平面と黄金比率の長方形ぶんの体積という
小さいグリッドを設定して、その中で全力を出させるように仕向けるのが今回の趣向。

 故にものすごくフィジカルが強く、コンテンポラリー演劇の進化系を見た、
と言いたいが、話が進めば進むほど、既視感というやつがじわりじわりとやってくる。

 ・・・これって、小倉のリバーウォークに両方共ある北九州芸術劇場と北九州市立美術館分館が
最近数年コラボしてやっている「所蔵美術品と演劇の掛け合わせ公演(求む、正式名称)」を
思いっきり演劇側に寄せているぞ、という発見。

 この企画、北九州市立美術館が所蔵しているコレクションの中から毎年一枚の絵なり
一体の彫刻、という立体物を飛ぶ劇場の泊さんと美術館学芸員がセレクトして、
作品のなんだかんだをイメージして作った戯曲を一本美術館分館で演り(60分程度の尺)、
その後美術館学芸員と泊さんがギャラリートーク(15分程度の尺)のちに
客席部分の裏にレイアウトされた絵画現物を鑑賞する(最大30分の尺)というパッケージ。

 この企画、絵画等と演劇というものが「知的冒険エンターテイメント」に化けるんだな、
「知的冒険エンターテイメント」に化けたら「物事を考えるための引っ掛かり」が
観手に生まれるように仕向けている。

 その仕向をギャラリートークと現物の絵画鑑賞の尺分を演劇として「延長して」、
板の上で繰り広げる人物像とキャラクター像を高い精度と密度でデッサンし、
アーティストもそうだけれど、人間生きていく、ということは「私自身のより良き理想の線」という
ものを書きたいと追い求めるのが性分、さらに「私自身のより良き理想の色や光のあり方」も
追い求めているんだ、ということを熱量高く見せていた。

 こういう縁をもとにして、どんどん広がってくれたらありがたいのだが。

劇団チョコレートケーキ「ドキュメンタリー」

「因果応報」を何らかの形で受けておかないと、わたしたちは先に進めないのか?

 そういえば、この劇団に岐阜の中津川で「福岡においでよ」と言ったことを
キびるフェス、キックオフイベントで薄っすらと思い出す。
まあ、福岡初登場で、福岡に薄っすらと「ゆかり」のある、しかも仄暗い「ゆかり」を
お話にして持ってくることが、正直すごい。

 というか、この板の上で語られている「事実」にわたしは思わず憤怒して、
1990年、私が高校二年の時献血を始めた、というか入り口は献血車が
直接学校に来て、それからぽんプラザホールの近く、今はドラッグストアモリか
牛丼の吉野家が入っているところに献血ルームがあって、そこでは
お菓子も食えるし、ジュースも飲める、いい時間潰しだ、という動機だったけれど。

 そういう動機から、「あら、あなた結構動脈太いのね、だったら成分献血行ってくれ」と
言われ、あのころは出して、戻してのサイクルが異様に長くて、長めの洋画一本まるまる
見ることのできる時間だったけれど、今は機械が良くなって、テレビ見流すかなにもしないで
ボーツとしたほうが(以下略。

 で、成分献血をやると全血献血200ミリで献血回数1回カウントが3から5回カウントになって、
気がつけば居住地の役所から銀色有功章やら金色有功章が宅配便で送られて、
家に飾るしか使いみちのない分厚い盾だから速攻押し入れにしまって、
どこへ行ったかわからない。

 そういう事があったから1995年、新しい制度での顕彰制度では直接赤十字から
ガラス製のちっちゃいお猪口、50回が銀色がかかった青、100回が金色がかかった
黄色をもらうようになったのだ。

 こういうふうに「私と献血」というもう一つの物語をじわじわと思い出すくらい冒頭部から、
老医師が登場してボツりポツリと語りだしたとき、生まれた空気感は元本の
森村誠一氏が書いたノンフィクション小説ではなく、遠藤周作氏が書いた
この福岡、更にいうと九大病院で起きた出来事を書いた「海と毒薬」の
流れを想起させるような時間の流れ、空気の漂いだった。

 というか、老医師が森村誠一氏のノンフィクション小説をくずかごに入れる場面が
妙にしっくりきて、語り口と佇まいが「海と毒薬」の勝呂医師をなぜだか想起してしまう。

 更にいうと、内部告発者のプロパーさんが「海と毒薬」の主人公、結核からの肺気泡を
治しに勝呂医師のもとへ行く男、フリーのノンフィクションライターが遠藤周作本人、
そのぐるぐる回りによって、「物の本質」がくっきりはっきり見えてくる。

 このお話の裏テーマは「血液」をめぐる「日本赤十字社」と「ミドリ十字=731部隊」の
今しがたまで続いていた暗闘の歴史だったのかもしれない。

 というか、赤十字が血液事業に乗り出したのはミドリ十字=731部隊より、どうも遅かったらしい。
おまけに、「社会貢献」と「銭金」を秤にかけりゃ、「銭金」が文字通り重たい世の中、
万が一自分や家族、親類縁者が輸血必要時に面倒がなくなるだけ、という半ば保険に近い
赤十字のやりかたではミドリ十字=731部隊にはかなわない。

 がだ、ライシャワー氏という「日本とアメリカをつなぐ大事な存在」が突然刺される、
という「テロ行為」から当人に輸血された血液がミドリ十字=731部隊が供給した
血液だったことがもとで肝炎になっちゃった事件をきっかけに「黄色い血追放キャンペーン」が
始まり、輸血用の血液はミドリ十字=731部隊は関与しないで、と赤十字、喧嘩状を叩きつける。

 そうなるとミドリ十字=731部隊は輸血用の血液からは手を引くが、血友病患者用の
血液製剤というビジネスモデル構築を裏で進め、確立と同時に預血事業から手を引く。

 その後どうなったか、をガチのドキュメンタリーとして落とし込んだのがこの演目。

 一見、不完全燃焼に思えるエンディングだが、1985年以降の献血史、とくに
物語が語られた翌年に成分献血が始まり、1989年、地道な調査の結果
NNNきょうの出来事から始まった一連のキャンペーンからミドリ十字=731部隊が
血液事業全体への関与ができない、というか罰則を含んだ禁止という処分を受け、
2002年に法制化という厳罰となり、2012年国有化、となれば、告発も意味があった。

 がだ、人間って、じぶんも、そうだけれど良い行いの種と同時に悪い行いの種も蒔いている。
そして、良い行いの種からの稔りは他者や異者に自慢したがるが、刈り取らなきゃいけない
悪い行いの種からの稔りは自慢どころか見られると困る急所に化け、他者、特に異者に
刈り取らせようとしている。

 刈り取らせようと無理やり働かせた人間は恨み骨髄、晴らそうとやっきなことを思えば、
北方四島問題やら何やらの日本という社会が抱えている全問題は人間が人間である以上
解決は不可能に近い、解決できる道は、自分自身で悪い行いの種からの稔りを
ヤブから蛇という脅しに負けず、これでもか、これでもかと刈り取りきって、焼き尽くすこと。

 
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